エンジニアからグローバルな経営コンサルへ転身。異なる分野に挑戦し続けることができた理由とは?

作成日:2022年9月12日(月)
更新日:2022年9月12日(月)

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは伊東伸さんです。伊東さんはハイテク技術、事業マネジメント、戦略コンサルティング、ベンチャー投資・支援という多様なスキルを持ち、これを強みにコンサルティング会社を起業されました。

名門コロンビア大学を卒業後、国内企業でエンジニアとしてキャリアをスタートさせた伊東さん。その後再度渡米してMBAを取得、アメリカに残り新規事業創出を含むグローバル事業のマネジメントを経験されました。さらに帰国後は戦略コンサル、ベンチャー投資・支援、知的財産投資分野へ進出、こうした経験を通して様々な高度なスキルを身に着けたそうです。

こうした経験を生かし、現在は株式会社iKoyooの代表取締役として事業戦略や人材育成のコンサルティングを手掛ける伊東さん。さらにアクセラレーターにてメンターや審査員を担ったり、大学講師を務めたりと若手の育成にも取り組んでいます。

なぜ全く異なる分野に次々とチャレンジできたのか。気になる方も多いのではないでしょうか?今回はインタビューを通じて、伊東さんの輝かしい経歴の背景にある想いを探ります。

伊東伸

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

米コロンビア大学電気工学科・米アルカディア大学数学科を卒業後、リコーやAMDでエンジニアとして従事。その後米シカゴ大学でMBAを取得、米モトローラ本社や米スリーコムの本社でグローバル市場に対する新規事業や事業のマネジメント職を経験。   帰国後はドリームインキュベータへ参画、戦略コンサルティング、ベンチャー投資や支援に取り組む。その後世界最大の知的財産投資ファンドであるインテレクチュアル・ベンチャーズ社にて、新ファンド組成、組織構築、投資運用を主導。   2013年に独立、株式会社iKoyooを設立。慶応義塾大学から博士号を取得後、SFC研究所上席所員なども歴任。

伊東伸

新たな挑戦をするときは「興味が湧くか?社会のニーズがあるか?」も考える

アルカディア大学時代卒業式 (数学科学科長と)

伊東さんは高校卒業後、アメリカのコロンビア大学の電気工学科、アルカディア大学の数学科に進学されました。日本の大学ではなく、アメリカの大学を選んだのはなぜですか?

 

伊東さん(以下、敬称略):高校時代には分野として電気やコンピュータに興味を持っていました。日本の大学も考えてはいたのですが、国際化を意識して英語によるコミュニケーション能力も是非つけたいと思っていました。そこでアメリカの工学部に行けば、興味ある分野の勉強もでき、同時に英語力もつくだろうと。

 

伊東さんは二つの大学で学ばれています。

 

伊東:コロンビア大学のジョイントディグリープログラムにより、小規模なアルカディア大学で教養科目を学び、コロンビア大学で専門科目を学ぶことにより、二つの大学から学位を取得することができました。

 

コロンビア大学は巨大で人も多いので、英語がそれほどできないまま直接行くことには躊躇しました。一方でアルカディア大学はこじんまりしていて、皆の顔が見え安心できました。普通のクラスもゼミぐらいの大きさで、すごくパーソナルな大学でしたね。最初にアルカディア大学へ行ったおかげで英語も基礎学力もある程度習得できたので、その後コロンビア大学へ行っても何とかやれたのかなと思います。

 

大学卒業後は日本に戻り、リコーに就職されました。これはどんなきっかけでしたか?

 

伊東:大学で電気工学を学んだ時、DSP(digital signal processing)にとても興味を持ちました(※編集部注:DSPはデジタル信号処理技術のこと)。DSPは様々な事象を三角関数で表すことでいろいろな処理ができるのです。Siriに使われているような音声認識や合成など、さまざまな分野でDSPが使われています。

 

DSPをやりたいと思ってリコーへ入社したのですが、結局別の分野の部署になりまして。リコーでレーザープリンタの開発を経験した後、DSPプロセッサの事業もしていた米半導体大手のAMDへ転職しました。

 

AMDの後は再度アメリカに渡り、シカゴ大学でMBAを取得されました。その後も慶応大学の大学院で博士号を取得するなど、伊東さんは就職後も積極的に学ばれていますね。

 

伊東:AMDでは半導体デバイスの応用技術の仕事をしました。エンジニアとしての仕事を進める上でマネジメントに興味を持ちまして。もっと体系的に経営を勉強したいと思い、MBAを取得しました。

 

慶応は、仕事で知り合った教授の研究内容をお聞きしたのがきっかけです。自分の仕事と関連する分野をもっと研究したい、という想いが強くなったんです。

 

再度学生に戻って学び直すとなると、経済的・精神的プレッシャーも大きかったのではないでしょうか?

 

伊東:当時はあまり考えすぎずに行動していた気がします。ただ興味を持つだけではなくて「中長期的にもこの興味が持続しそうで、かつ社会のニーズもありそう」といった観点をもって進学しました。結構な時間とお金の投資ですが、リスクはあまり感じませんでしたね。

「新しいことを知りたい」という強い気持ちが、自分の価値につながった

インテレクチュアル・ベンチャーズ時代 (初期メンバーと)

MBA取得後は新規事業や事業戦略の分野に進まれました。エンジニアから大きな転身ですね。

 

伊東:エンジニアとしての技術を生かしながらMBAで得た知見を活かせると思い、MBA取得後はシカゴに残りモトローラの新規事業担当マネージャーとして勤めました。当時モトローラはいろいろな事業をしていましたが、私の担当は携帯の基地局ビジネス。当時アメリカのアナログ網は国土をほぼカバーできていましたが、こうなるともう機器が売れる余地がありません。だから新規事業が必要だったわけです。北米向け、ヨーロッパ向けの新規事業を企画し推進しました。

 

モトローラの仕事は楽しかったのですが、それまで私が扱ってきたのは全部BtoBでした。そこでBtoCのマネジメントもやってみたいという興味が湧き、シリコンバレーにあるスリーコムという企業に転職しました。スリーコムはオフィス内ネットワークであるLANの世界標準「イーサネット」を開発したMITの研究者が創業した会社です。LANの機器では、当時世界シェアの6割ぐらいを占めていました。

 

私がスリーコムに移った97年頃は、パソコンやインターネットが一般家庭に広まり始めた時期です。だから法人だけではなく個人向けにもビジネスをしていて、BtoBとBtoCの両方ができるところに惹かれました。

 

シリコンバレーが活気づいていた頃ですね。その後伊東さんは日本に帰国、戦略コンサル・ベンチャー支援のドリームインキュベータへ転職されています。これはどんな理由でしょうか?

 

伊東:シリコンバレーには面白いベンチャーがたくさんあり、毎日のようにベンチャーや新しい技術の話を仲間としていました。アメリカだけではなく、中国系やインド系の人材が集まって、ベンチャー関連のミーティングも盛んに行われていまして。こうした交流がきっかけでVCに興味を持ちました。

 

実は当時アメリカのVCに声をかけてもらっていまして。転職する予定でしたが、直後にネットバブルが崩壊してしまいその話は無くなってしまいました。どうしようかなと思っていたとき、シカゴ大学の同窓生が、ヘッドハンターをしていた後輩を通して、日本のドリームインキュベータを紹介してくれました。これがきっかけですね。

 

MBA取得後、アメリカに残り現地でキャリアを積まれていました。そのままアメリカに残りたいという気持ちはありませんでしたか?

 

伊東:実は、どちらでもいいかなと思っていました。永住権があったのでアメリカに残っても良かったのですが、当時のシリコンバレーはネットバブル崩壊直後で本当に酷い状態だったので、久しぶりに日本に帰国してみようかなと。

 

そしてドリームインキュベータのお話をいただいたとき、戦略コンサルとベンチャー投資の両方ができるというところに強い興味を持ちました。それまで事業会社での経験でしたので。ベンチャー投資ができてさらにトップコンサルの手法も身につくところに惹かれ入社を決めました。

 

ドリームインキュベータでは様々な大企業の経営者に対する戦略コンサル、そしてベンチャー投資を行いました。ベンチャー投資では、投資先の発掘からデューデリジェンス(編集部注:投資先の価値やリスクなどを事前調査すること)、投資、投資後の伴走まで全部関わっていました。

 

投資後の伴走とは、具体的にどんなことをされていたのでしょうか?

 

伊東:支援内容や程度は投資先にもよります。例えば、半導体のベンチャー案件では経営幹部として常駐して戦略を考え推進しました。この半導体のベンチャーは革新的な技術を持っていてとても面白かったのですが、事業的には難しいところがありました。時代が追いついていませんでしたね。

 

スタートアップを成功させるのはとにかく難しい。様々な経験を積んでいくと、日本には、ビジネスとしては難しいけれど、技術としては魅力的なものがたくさんありそうだと感じたんです。そして、スタートアップの経営破綻と共にこうした魅力的な技術が埋没してしまうことも目の当たりにしました。そこで、技術で勝負できる土俵はないかなと思っていたところ、インテレクチュアル・ベンチャーズという会社と出会い、次のチャレンジをすることにしました。

 

インテレクチュアル・ベンチャーズはマイクロソフトの元CTOなどが設立した会社で、特許などの知的財産へ投資をする会社です。私は、まだ特許化されていない技術アイデアに投資をするファンドを担当していました。さまざまな社会課題を解決するための技術課題を定義して、それらに対する解決策を日本を含め世界中から広く募りました。当時は「黒船来訪」なんて言われて、多くの日本の特許がアメリカに持っていかれるなんて声もあったんです。当時は私もよくテレビや新聞の取材を受けました。

 

ドリームインキュベータとインテレクチュアル・ベンチャーズの2社での経験のおかげで、投資やコンサルの知見を得ることができたのは大きかったですね。

「どうにかなる」という自分の感覚を信じて起業

シカゴ大学ビジネススクール時代 (クラスの仲間と)

常に新しいことへ興味を持ち続けることで、テクノロジー、事業マネジメント、投資、コンサルという異なるキャリアを持つことができたわけですね。伊東さんはその後2013年に起業されましたが、以前から起業を目指していたのでしょうか?

 

伊東:コンサルティングという形では考えていませんでしたが、いつかは自分でやりたいという想いはもともとありました。MBAを取得する頃からでしょうか。

 

ただ私の場合、会社に勤めることと独立して自分でやることの間に境界線はあまり感じないんです。どちらも仕事は仕事だと思っています。

 

キャリアのフェーズとしてそろそろ自分で挑戦したいと考え、一区切りついたときにインテレクチュアルベンチャーズを退社し今の会社を立ち上げました。もちろん会社員と経営者ではやることは違いますが、リスクや不安はあまりなかった気がします。どうにかなる、という感じでしたね。

 

確かに独立した方にお話を伺うと、どうにかなるという考えをお持ちの方は多いですね。

 

伊東:高校を卒業して独りアメリカの大学に進学するときも、実はどうにかなるという感覚はあったんです。担任教師や周りの大人はいろいろ言っていましたけど、自分の感覚を信じてよかったと思っています。

 

あとは父親が独立して建築設計の事務所をやっていましたので、そういう働き方が身近にあったことも、影響していたかもしれません。

独立して自由な時間を手に入れたから、自己投資や趣味にも全力で取り組める

ダンスパーティー(先生とのミニデモ)

実際に経営者になって大変だったこと、反対によかったことはありますか?

 

伊東:会社員は安定的な給与がもらえますが、経営者は自ら仕事をとってこなければいといけないところは大変です。よく「不安と不満どっちをとるか」って言われますよね。社員だといろいろ不満はあるけど、不安は少ない。経営者はその逆です。

 

そういう点で経営者は大変なところもありますが、自由な時間を得られたのは大きいですね。自由な時間を使って自己投資を続けることができるのがうれしい。会社員では時間が限られるので、こうはいきません。経営者になった今は好きな時に何でもできます。

 

例えば、私は大学で二つの講座を持って教えているのですが、これも好きなことの一つです。そして大学の授業で使う教材を自分で作っています。教えるためには確認のためにもいろいろと調べなければいけません。こういう時間はすごく自分への投資になっています。技術もどんどん変わっていきますから、キャッチアップしていく必要があります。

 

自由な時間が増えたことで、趣味に充てる時間も増えましたか?

 

伊東:そうですね。実は今、社交ダンスをやっています。もともとシカゴにいたときに先輩がレッスンをやっていて何度か参加したことはありましたが、その後すっかり忘れていました。

 

独立して時間ができたので、近所にあるスクールを見学してみたんです。久しぶりにやってみたら面白くて。始めてから4年くらいになります。

 

社交ダンスの魅力はどんなところですか?

 

伊東:社交ダンスが面白いのは、普段使わない脳と体を使うところ。そしてとてつもなく奥が深いところでしょうか。多くのステップを覚えなければいけないし、ダンスの種類も多い。何より、ペアダンスで相手がいることですから、自分のことではなく常に相手のこと、自分と相手の距離や位置関係、重心の位置などをリアルタイムに把握して行動する必要があります。次の動きを決めて体でリードしていきます。

 

ダンスパーティーなどでは初対面の人と組んで踊ることがあります。相手の性格も技量も分かりませんが、近頃では組むとわかるようになりました。相手に合わせながら、音楽に乗って、フロアの状況を見ながら、アドリブでリードして踊るんです。これを本当にうまくやるにはなかなか難しい。ちょっと緊張しますが、そこも面白いところです。

これから起業するなら、自分の価値を常に知って環境にあわせ価値を高めることが必要

慶應義塾大学博士学位授与式のあと(主査教授と一緒に)

現在も高い知的好奇心をお持ちですね。そんな伊東さんにとって、今後やってみたいことや目標を教えていただけますか? 

 

伊東:大きな話になってしまいますが、日本を元気にしたい。ここ30年、日本全体が停滞していて貧困化が進んでいると感じています。これを何とかしたいんです。そのために自分ができることで、役に立てたらいいですね。

 

ひとつは今もやっているスタートアップの支援。それと今後は個人や中小企業の支援もやりたいと思っています。困難に一所懸命に立ち向かっている人や企業に、私ができることは何なのか模索しながら力になりたいと考えています。

 

伊東さんは日本の停滞感をどんなところで感じていますか?

 

普段の生活の中でも多々感じますが、データを見ると客観的によくわかります。例えば日本の一人あたりGDPは、5年前に韓国に抜かれています(※1)。韓国だけではなく他の国がどんどん追い上げている状況。かつて一位だった日本の国際競争力は急速に落ちていて、他の国からかなり引き離されています。今は40位ぐらいじゃないでしょうか(※2)。

 

もちろん経済的な成功が幸せにつながるとは限りません。でも経済的な理由で不幸に陥っている人たちが増えているのは事実です。OEDCの貧困の定義からすると、日本ではこどもの7人に1人が貧困というデータもあります(※3)。

 

このまま10年、20年経ってしまうと、もう日本経済は立ち直れなくなるでしょう。だから今やらないと、と強く感じています。

 

「日本を元気にしたい」というのは弊社の想いと全く同じです。伊東さんは現在、日本の若手起業家の育成に取り組んでいらっしゃいますね。弊社の運営するアクセラレーションプログラムでも、協業マッチングやメンター支援をしていただいています。

 

伊東:ドリームインキュベータにいた頃に、起業家支援や若手コンサルタントの育成などの経験をしました。そして、独立後にグローバルにスタートアップ支援を行なっている「けいはんなリサーチコンプレックス」のマネジメントをやっている方からお話をいただいたのが大きいですね。

 

これは日本を含む世界中の優秀なスタートアップを呼び、日本の企業とコラボレーションしながら日本でビジネスを展開してもらうアクセラレーションプログラムです。私のキャリアとも親和性があり得意分野ですから、役に立てると思いチャレンジしています。さらに発展させるために、共同で新会社も立ち上げました。

 

最後にこれから起業を目指す方に向けて、メッセージをいただけますか。

 

伊東:アメリカに進学したときからずっと思っていることですが、日本では就職と言うより就社でしたよね。でも、もうその考えは成立しません。いかに労働市場で自分の価値を高めるか、ということをいつも考えた方がいい。

 

また、外部環境が変わると求められる人材の価値も変化します。そして近年この変化は激しさを増しています。ですから自分の価値を常に知って、今後求められるであろうことに対して価値を高めることが必要です。もちろん自分の関心があるか、面白いと思えるかはとても大切です。自分の価値向上と自分の興味分野のベクトルが、うまく合うといいですよね。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

 

輝かしい経歴を持ちながらも、「今でも知らないことが多すぎます」と語る伊東さん。現在も新しいことにどんどん興味を持ち、学び続ける姿勢が印象的でした。また伊東さんは留学や起業に踏み出すとき「考えすぎずどうにかなると思っていた」とお話されていました。リスクを恐れすぎず、知的好奇心に素直に従う行動力。これがキャリアの裏にあることがよくわかります。

 

とはいえただ興味を持って行動するだけでは、成功が難しいのも事実です。伊東さんの場合はシリコンバレーでネットバブル崩壊を目の当たりにした経験もあり、常に外的環境を客観的に捉えていらっしゃいます。起業家に本当に必要な資質は何か、あらためて気づかされました。

 

(※1:IMFによると日本の一人あたりGDPは2018年に韓国に抜かれ、その後も差が広がっている。


(※2:2020年版の世界競争力ランキングにおいて、日本は過去最低の34位。

 

(※3:厚生労働省の2019年国民生活基礎調査によれば、日本の子どもの貧困率は13.5%。子どもの7人に1人が貧困状態にある。