ソニーを経てUI・UXデザイナーとして独立。理系の自分がデザインや企画をするとは想像できなかった

作成日:2023年5月10日(水)
更新日:2023年5月10日(水)

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューはUI・UXのディレクションやデザインを手掛ける河野道成さん。河野さんは横浜国立大学工学部を卒業後ソニーに入社し、エンジニアとしてキャリアをスタート。その後UI・UX関連プロジェクトのリーダーを務めるなど、活躍の場を広げていきました。


2014年にネオマデザイン株式会社を設立。現在はUIやUXを中心に幅広い分野のコンサルティングを手掛けています。「ソニーの中でも異端児でした」と語る河野さん。今回はソニーでの武勇伝やキャリアチェンジのきっかけ、起業の理由などを伺いました。また音声UIに関する著書もある河野さんへ、話題の「ChatGPT」の未来についても専門家としてのお話をお聞かせいただきました。

河野 道成

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

1969年生まれ。横浜国立大学工学部卒業後、ソニー株式会社へ入社。ソフトウェアエンジニアを経て、PS4®(PlayStation®4)の音声UIや次世代家電のプロジェクトリーダーに従事。UIや空間・人の感情感性に関わる研究開発に携わる。 2014年にソニーを退職し、ネオマデザイン株式会社を設立。UI・UXのディレクションのほか新規事業コンサルティングなども手掛ける。また慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科にてリサーチャーも務める。2018年には著書「音声に未来はあるか?インターフェースがビジネスを動かす」(日経BP社)を出版。 ◆ネオマデザイン株式会社 https://www.neomadesign.jp/

河野 道成

完全デジタル主義だった自分が、ソニーの仕事や趣味のダンスを通じてアナログの良さに気づいた

趣味のジャズダンス。発表会のソロシーンにて。

 

河野さんは横浜国立大学の工学部電子情報学科をご卒業されていますが、この分野に興味を持ったきっかけを教えてください。

 

河野さん(以下、敬称略):実は小学校の時3年間アフリカのケニアにいまして。日本に戻った時ちょうどビデオゲームが流行っていたんです。こんな面白いものがあるのかって、ゲームにハマったのがきっかけですね。

 

それと知人が、パソコンでゲームを作れることを教えてくれたんです。それからプログラミングに興味を持って、勉強していったらますますのめり込んで。「これからは情報処理とかコンピューターの需要が絶対に増える」と思いました。

 

その時点で未来を予測されていたわけですね。当時はプログラマーを目指していたのでしょうか?

 

河野:実は「NASAに入って宇宙飛行士になりたい」という夢があったんです。そこで、好きだったコンピューターができればNASAに入れるかもと考えて、情報処理に強い大学へ行こうと思いました。

 

当時は四国にお住まいだったそうですが、四国から関東の横浜国立大学に進学するのは珍しかったのでは?

 

河野:高校の先生からはかなり反対されました。もともと地元愛が強い地域で、遠方に進学する人が少なかったんです。でも予備校の夏期講習で大阪に行ったとき、授業のレベルが全然違っていて「これはまずいぞ、都会に出なきゃいけない」と焦りました。

 

私は自分の気持ちを一度決めたら、もう揺らぎません。高校の先生からは「うちから横浜国立大学に入った生徒は今まで一人もいない」と言われましたが、気にしませんでした。

 

意志の強さや周りに流されないところは、幼少期に海外で過ごした経験も影響しているのでしょうか。

ケニア時代

 

河野:あると思います。ケニアで小学3年から6年まで3年間過ごしたことは、間違いなく自分のターニングポイントでした。

 

ケニアでは、現地の日本人学校(ナイロビ日本人学校)に通いましたが、英語の授業やケニアの歴史を学ぶ授業などもあり、日本の学校とは違いました。また、授業だけでなく教育方針も、日本の学校とは違うスタイルだったんです。

 

先生が頭ごなしに否定せず、授業中に生徒が生徒を教えるといったこともありました。

例えば国語のテストで「作者の気持ちを答えなさい」という問いがありますが、「こういう理屈で作者はこう考えた」という正解があるけれど、当時の私は子どもですし違う意見を持つわけです。しかし、それを回答としてあげても、日本の学校では「正解はこれだから」とスルーされてしまいます。

 

でもナイロビ日本人学校では「河野くんがなぜそう思ったのか、みんなで考えてみようか」と先生が言ってくれるんですよ。話し合う中で自分の答えは間違いではないけど、テストの正解とは違うことに納得できる。こういう経験はすごくよかったですね。その価値観のまま日本に戻ってきたので、中学と高校ではかなり異端児でしたが…。納得がいかない校則を変えさせたこともありました。

 

まさに異端児ですね。大学卒業後はソニーに入社されましたが、就職先を選ぶ際も河野さんなりのこだわりがありましたか?

 

河野:NASAに行きたいという夢があったんですが、いきなりは無理かなと。まず、そこにつながるために、海外展開していて、かつ、得意なプログラミングスキルが活かせる企業に行こうと考えました。

 

たまたまソニーに会社訪問した時、エンジニアの方たちが楽しそうに仕事をしていたのが印象的でした。ジーンズにTシャツの方もいて、他の家電メーカーよりも自由な雰囲気でしたね。OBの方からも自分の意見が通りやすいとか、若くても責任のある仕事を任せてもらえると聞き、ソニーに決めました。

 

ソニーではソフトウェアエンジニアから始まり、その後UI・UXデザイナーなどキャリアを広げていらっしゃいます。どんなきっかけがあったのでしょうか?

 

河野: ソニーに入った頃はもう“完全左脳”といいますか、理論的でエンジニアの塊でした。でも、30歳になる手前くらいかな…、ちょうど仕事でユーザーエクスペリンスや体験デザインに関わるようになって、デザインの力に気づいたんです。

 

機能や性能だけでは製品は売れない。デザインも含め、人がものを欲しくなる軸には感情とか心理が関わっているんですよね。ただ私は“デジタル大好きっ子”だったので、最初は戸惑いもありました。同じ人を連れてきて同じものを出しても、その日の気分で反応が全く変わる。デジタルの世界ではありえないですよね。

 

その経験から、「人間は一律でもないし説明しきれない。だから面白い。ものを売る時にはそこが大切なんだ」ということが、だんだんわかってきました。これは仕事だけではなくて、ダンスを始めたことも影響しています。

 

ダンスは趣味でやられていたんですか?

趣味のジャズダンス。発表会の群舞シーンにて。

 

河野:はい。ソニーに入って数年経った頃、たまたま知人がやっていて面白そうだなと思って。私は趣味として始めたんですが、そこが実はかなり本気でダンスに取り組んでいるチームでした。プロの俳優も参加した商業公演もやるし、師匠も「宝塚で教えていました」なんていうスペシャリストたちだったんですよ。

 

ダンスもデジタルとはまったく逆の世界ですね。

 

河野:今までの私にはない世界でした。舞台って暗いだけで、実際には森も教会もない。でも人が演じ、舞台の空間をしっかり造るとイマジネーションが湧いて、本当にそこにあるように感じる。これに感動しました。

 

当時私は仕事でVRやARもやっていましたけど、リアルのすごさには超えられないところがある、デジタルだけじゃないんだと気づかされました。そこから「デジタルだけ、アナログだけではなく、両方のよさをうまく取り入れたい」と思うようになって、これが今の仕事につながっていると思います。

ソニーで先進的なことにチャレンジするとき、役に立ったのが「気づく力」

3Dインタラクションライブの様子

 

ソニー在籍時に手掛けたプロジェクトの中で、その後の河野さんのキャリアに影響したものを教えていただけますか?

 

河野:2011年に開催した、ソニーミュージック所属の「元気ロケッツ」というアーティストの3Dインタラクションライブですね。当時は日本で初、世界でも初だったかもしれません。今で言う、ライゾマティクス(Rhizomatiks)さんがアーティストperfumeとやられているデジタルアクティビティに近いですね。

 

一流のアーティストと関われたこともよかったですし、私自身ダンスをやっていたので舞台を作る仕事ができたのがすごく楽しかった。あと「すごい」とか「楽しい」とか、直接お客様の声が聞けたことも大きいですね。私もPlayStation®などいろいろな仕事をしましたけど、自分の作ったものに対するお客様の声を直接聞ける機会は少なかったんです。

 

ただ、残念ながらこのプロジェクトは、当時ソニーの中では、手間や工数ばかりかかって大きなビジネスにならないと言われて終わってしまいました。

 

時代の先を行き過ぎていたということでしょうか?

 

河野:そうですね。その頃はまだ日本でデジタルとアナログを融合した大掛かりなクリエイティブをしている会社は少なく、現在その業界では著名なチームラボさんやライゾマさんが今やっていることを、その当時にすでにやろうとしていたんです。

 

これはソニーの“エンジニアあるある”なんですが、こんなデジタル・IT技術が登場したというニュースを見てもあまり驚かない。「あ、やっとこれ出たんだ」「うちで取った特許に引っかかってないかな」という感覚で見ています。

 

なるほど。先進的なプロジェクトに取り組む中で、河野さんご自身にはどんな強みがあったと思いますか?

 

河野:「気づくこと」ですね。発見力とか、洞察検討力とか。今でもよく「河野さんはなぜそんなところに気づくんですか」と言われます。そういう気づくセンサーが、すごく強いんじゃないかと思います。

 

「こういう企画にしたい」とか、「こうすれば現場でこういうことが起こる」というのは、やはり気づく力が関わってきます。それに気付く力があれば、「できないことは何か」にも気づける。そこに気づいたら、できる人に渡すことができます。私はディレクションが得意なんですが、要件づくりができるのはこの気づく力が大きいかなと思っています。

 

気づくためには、多くの情報をインプットしておく必要がありますよね。情報をインプットするとき、意識していることはありますか? 

 

河野:興味のあるなしに関わらず、頭にとにかく入れることですね。昔は今ほど立ち読みにうるさくない時代でしたから、書店やコンビニに入ったら並んでいる雑誌を端から端まで全部読んでいたんです。入口の近くにある女性雑誌から読んで、奥にある競馬とか男性向けの雑誌まで、とにかく全部読む。

 

そうするとその業界で何が流行っていて、どんな価値観があって、どういう人がそこに関心を持っているかが見えてくるんです。あと「この業界のメディアはこういう方向にもっていきたいのかな」なんてこともわかります。

 

今ならネットですね。例えばペルソナ(仮想の人物)ごとにTwitterのアカウントを設定して、「たぶんこういうのが好きそうだ」と想像し活用しています。

 

そこまでする人はなかなかいないですね。

 

河野:ただ職場では面倒くさい人になります。すぐ“そもそも論”に戻るので。会社で仕事していると、「トップが決めてある程度物事が動いてきたら、もう仕方がない」と妥協することも多いじゃないですか。でも私は「そもそも仕方がないっておかしいよね」と思ってしまう。「上の人が言うから」って言われると、「じゃあもっと上の人に話そうよ」となるんです。

 

当時「自分より2段階から3段階上の人と交流していく」ということをすごく意識していました。直属の上司とは普段からやり取りがあると思いますが、さらに上の人となるとなかなか接点がないですよね。私はそういう人に積極的に話しかけていました。

 

どんな方法で上の方にアプローチしていたんですか?

 

河野:私は当時煙草を吸っていたので、喫煙室でよく上の人と話していました。上の人って若い人から声をかけられることが少ないから、わりと興味をもって話してくれましたよ。ただソニーにいた最後の頃になると、2つ上の役職になるともう役員クラスになっちゃう。だから役員室に行って話していました。

 

でもこれをやると、順番守れって直属の上司からは怒られます。もちろん事前に「あなたよりもっと上の人に聞きますよ」って言っておくんですけどね。とはいえ、会社の上司や役員って、全然怖いとは感じませんでしたが。

 

どうして怖くなかったのでしょうか?

 

河野:さきほどダンスをやっているとお話ししましたが、ダンスの師匠の方がよっぽど怖い。仕事は自分の得意分野だから平気なんです。でもダンスは、小さい子で自分より上手な人がたくさんいます。私は仕事があるのであまり練習時間を取れなかったのですが、本気で取り組んでいる人たちは朝も夜も練習するんです。

 

ダンスの師匠に「レッスン場は朝5時から開けているのに、なぜ練習していないの?」なんて言われたら、もう反論できません。ひとりで舞台に立たされて、できない自分を晒され、罵られていましたから。それに比べたら、会社の上司や役員からの叱責なんて、大したことないんです。

研究とビジネスの橋渡し役として役に立ちたいと思い、起業にチャレンジ

全体ディレクションを担当した銀座マロニエゲート2 HANADOKEI

 

2014年に河野さんはソニーを退職され、起業されました。設立したネオマデザイン社ではどんな事業を手掛けているのでしょうか?

 

河野:「人の体験価値を上げるためのデザインをしましょう、良い体験を創ります!」というのがミッションです。これだと、何をやっているのかわからないですよね。実際よくそう言われます。

 

具体的にはAIなど次世代の技術を使っている企業や開発企業に対して、どうやってシーズからニーズに持っていこうか、というところをお手伝いしています。

 

技術開発だけではなく、企画やデザインも経験した河野さんならではのポジションですね。

 

河野:ソニーの時に私がなぜエンジニアから企画やディレクター側に回ったかということと、「研究してシーズを見つける人と、シーズをニーズに持っていく人は別」だと思っていたからなんです。

 

大手の研究所に私もアドバイザーとして入っているんですが、今の時代って、研究を担当する人にもビジネスプラン(企画)を要望する傾向があります。でも本来は研究と企画は別のスキルだと思うんです。私自身は研究も好きですが、それを活かして世の中をよくすることを考えるのが得意でした。だから研究する人とビジネスにする人の橋渡しができるかなと思ったんです。

 

あと技術を持たない企業の場合は、ぼんやりニーズだけがあるときに「こういう技術とこういう体験と、こういうサービスを繋げばいいユーザー体験ができますね」という具体的に落としこむところまで作り込みます。

 

そこまでやるとなると、相当なパワーが必要ですね。ネオマデザイン社では多くのスタッフを抱えているのでしょうか?

 

河野:外部のパートナーはいますが、社員は私ひとりです。基本的に自分で全部やれてしまう器用貧乏なんです。例えばある遊園地のアトラクションを作ったときは、アニメのコンテンツだけ決まっている状態で、私は企画からプレゼンテーション、システム開発、デザイン、運営まで全域にわたって対応しました。

 

グローバルな経験があるところも、河野さんの大きな強みでしょうか?

 

河野:インバウンドが増えてきて、日本企業でもターゲットが海外になるとグローバルな視点は重要ですね。海外の人たちの体験価値って日本とはまた違いますが、そういうところまで満足に対応できる人は、日本にはまだ少ないと思います。

 

例えば大手の自動車メーカーさんのサービスに関わった経験があるんですが、自動車は世界で売るので「世界の人はどういう感覚か」という視点が重要です。そういう感覚をわかっているUXデザイナーさんはまだまだ少人数なのです。

 

あとはグローバル展開を考えると、知的財産権(知的活動によって生まれた創造物に対する権利。特許権、実用新案権など)が関わってきます。海外ですでに特許を取られている場合もあるので、そこに引っかからないようにする必要があります。これもソニーの経験が活きていますね。ソニーは新しいビジネスを作る時、まず世界を見ます。地球の裏側の人たちにも響くのかという考え方をしていました。

 

ソニーでの経験を活かしつつ世界でやっていける企業を増やしたい、という想いで独立されたのでしょうか?

 

河野:正直言うと、独立した時はそこまで考えていませんでした。実はソニーではいろいろと制約も当時はあり、メーカーなので自社製品を使いつつ、デジタル・ITの世界だけで体験を創ることが最優先でした。

 

私が銀座マロニエゲートで行なったHANADOKEI(上記写真)のような、生花とITを組み合わせたクリエイティブワークがありますが、このような活動はその当時は認められにくかったのです。そういうところでやりたいことと少しずれたり、さっきお話ししたようなお客様の声が直接聞けるプロジェクトがなくなっていったりしたんです。

 

大きな仕事もたくさんやらせてもらっていたので、もちろん感謝の気持ちも大きいです。例えばPlayStation®4では、私はUIを担当しました。「PS4®のUIを作ったんだよ」と言うと、世界中の人が「おおっ」と言ってくれるんです。それはとても嬉しいことですが、ないものねだりで違うこともしたくなって。

 

あとは、先ほどお話ししたように、研究とビジネスの橋渡しもできるし、グローバルな経験もあるところが自分の強み。そんな自分が世の中に出て役に立つのかな、ちょっと挑戦してみたいなという想いもありました。

 

独立した後、どんなプロジェクトを手掛けていらっしゃいますか?

 

河野:なんでもありなんですよ。遊園地のアトラクションもやりましたし、洋服屋さんの店舗デザインもやりました。ハウスメーカーの建築設計士向けの教育などもしています。どれも人間の体験に関係するのです。

 

あらゆる体験が河野さんのお仕事になるわけですね。さきほどネオマデザイン社の事業内容が伝わりにくいとお伺いしましたが、営業活動で大変だったこともありますか?

 

河野:私の仕事やポジションが世間に伝わりづらいことは悩みですね。肩書きとしてUXディレクターと書いていますが、実際はUXデザインだけでなく、その上流である企画、リサーチもやるし、エンジニアリングも行なう。一方でデモやプレゼンテーションなどの指導、現場運営などのアドバイスも行なう。マルチすぎるため、「何でもできる」は「結局何ができるんですか?」と疑われることも多いです。

 

ただ、実際に契約して仕事がはじまると、現場からは「そんなことも知っているんですか?そんな引き出しも持っているんですか?」と評価してもらえるんですけどね。ジェネラリストともいわれますが、なかなかこういうポジションはいないので認知されにくいのが悩みです。

 

今はグローバルを意識した体験デザインとか、シーズをニーズに持っていくとか、そのあたりのことができる人材が社内に少ない企業が結構多いようです。そこに気づいた企業の方から、声をかけていただいています。

専門家として見るとChatGPTはまだまだ。でも可能性と期待は大きい

当社みらいワークスのオフィスにて。

 

河野さんは2018年に「音声に未来はあるか?」という書籍を出されていますね。

河野道成『音声に未来はあるか?』日経BP,2018年

 

河野:実はソニー在籍時に音声UIのグローバルチームを持っていたんですが、当時から音声対話って難しいなと思っていたんです。だから起業したとき、音声UIはやらないつもりでした。

 

たださまざまな企業からノウハウを教えてほしいとか、スマートスピーカーでうまくいかずに困っているからなんとかしてほしいなどのご相談を受けることが多くなりまして。それでいろいろその業界でやっていたら、本を出版できたという感じです。

 

最近はChatGPTをはじめAIを使った音声UIが話題ですが、専門家として今後どうなっていくとお考えですか?

 

河野:専門家としてシビアに評価すると、音声を使った対話という視点ではまだまだなんです。確かにChatGPTはたくさんのパターンで対話できますが、アバターにしたりロボットの中に入れたりするのは厳しいかなと思います。

 

どんな点がまだまだなのでしょうか?

 

河野:ChatGPTは、今まで誰かが言った知見やノウハウを言っているだけなんです。いわばGoogleがより賢くなったもの。だから実は本当に欲しかった回答とずれることもあるんです。

 

「野菜が嫌いな子どもに、野菜を食べられるように説得する」ということをChatGPTにやらせてみたことがあるんです。いろいろ試したんですが、回答してきたのは野菜のうんちくばかりでした。

 

でも人間相手だったら、例えば「大谷翔平君は野菜が嫌いだったけど、〇〇って言ったら食べるようになったんだよ」みたいなことも思いつくし、この言い方のほうが興味深く聞いてくれます(大谷翔平選手が本当に野菜嫌いだったかどうかはわかりませんが…)。

 

ChatGPTは賢いし、たくさん情報は持っている。でも「人の心を動かすための言葉」は出せないんですよね。結局はうんちくだから。ただうんちくが今までにないくらいの精度で、短時間に出してくるのですごい、人は不要なのでは、という話になっているわけです。

 

著書にも書いたんですが、ラポートトークとレポートトークというものがあります。ラポートトークは共有指向型の話し方で、主に共感・親和・私的内容が中心、雑談が主にこれにあたります。

 

一方でレポートトークは、問題解決型の話し方で解決・支配・公的内容が中心。スマートスピーカーに話しかける内容も「音楽をかけて」「明日の天気は?」といったものが多いのですが、これはレポートトークです。

 

しかし、コミュニケーションにはやっぱりラポートトークが大事で、共感したり、感動したりすることで、人は心に刺さるわけです。だからうんちくだけでは限界がありますよね。実は「会話中で嫌いな、つまらない話題」を調べたデータがあるんですが、一番嫌われているのが実はうんちくと自慢話なんです。

 

そうなると、うんちくばかり語るChatGPTの未来はないということでしょうか?

 

河野:いえ、今後の可能性と期待は大きいです。例えばさきほどの野菜嫌いの子どもを説得する方法で言うと、「今大谷翔平君がすごく子どもたちに人気があるから、彼と関連付けて伝えて」とChatGPTに投げれば、そのような返答を生成してくれるかもしれません。そうなると凄いですよね。

 

つまりコミュニケーションスキルがある人がChatGPTを使えば、良い結果が出ると思うんです。

今のChatGPTや音声UIは、まだ技術の高さをアピールする段階。体験価値を上げられるかは、これからじゃないでしょうか。技術はあくまでツールですから適材適所です。体験価値を上げるには、技術をどう使うかが大事だと思います。

人にはたくさんの可能性がある。まさか理系の自分がデザインや企画をするとは想像していなかった

当社みらいワークスのオフィスにて。

 

今後の目標について、教えていただけますか?

 

河野:もっとグローバルに進出したいという想いはありますね。以前は海外のクリエイターから声をかけていただいたこともあったんですが、新型コロナウイルスで全部なくなってしまいました。そのあたりをまた復活させたいです。

 

もちろん国内でもやりたいことはあります。後進の育成とか、業界を盛り上げる取り組みに関わりたいですね。UXデザイナーやUXリサーチャーというポジションがようやく確立されてきて、活躍する人たちも増えてきました。そんな中で、自分ができることがまだあるような気がしているんです。

 

楽しみですね。最後に、河野さんのようにこれから挑戦をしたいと考えている方に向けてメッセージをいただけますか?

 

河野:私はもともとバリバリの理系でエンジニアでしたが、今ではデザインや企画をやっています。こんな仕事をするとは、若い頃には全く想像していませんでした。

 

最近若い人と話すと、「自分にはスキルがない」と悩む人もいれば、反対に「これが自分の絶対の強みだ」という人もいます。でも、やりたいこととか目指すスキルって、変わっていくと思うんです。

 

あまり固執しすぎないほうがいい、ということでしょうか。

 

河野:決めつけないで、いろんな仕事についてみる、いろんな体験してみる、いろんなスキルを学んで欲しい。途中でこっちが面白いかもと気づくこともあるじゃないですか。合わなければ手放せばいい。

 

私がデザインや人の体験に興味を持ち始めたのは、お話しした通り30歳手前くらいの時なんです。まあまあ、いい歳ですよね。その頃にダンスも始めて、なんか舞台って楽しいぞ、アナログなことも面白いなと思い始めた。それまではエンジニアとしてひたすらプログラミングをしていました。

 

だから若い方には、まだ見つかっていないスキルや好きなことがきっとあると思うんです。これから新しいチャレンジをする方は、ぜひそういう可能性を探してほしいですね。私自身、自分の天職とか天職スキルみたいなものは、正直まだわからないんですよ。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

 

当初エンジニアからキャリアをスタートさせた河野さんは、その後デザインや企画もできるコンサルタントへ見事にキャリアチェンジされました。ソニーで培った経験やスキルがもとになっていると思いきや、お話を伺うと実はそれだけではなく、幼少期の海外経験や趣味のダンスなど仕事以外で得たものも大きかったことが伺えます。

 

ひとつのスキルや考え方に固執せず、自分の可能性を信じてチャレンジを続ける河野さん。その働き方・生き方に勇気をいただきました。