P&GやUSJを経てマーケティングのプロへ。挑戦を続けるには「何とかなる精神」も大切

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは大森研治さん。シャープやP&Gでマーケティングの経験を積んだ大森さん。20代での独立を経てユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のほか、製薬や航空など多彩な業界でキャリアの幅を広げていらっしゃいます。

2020年に再度独立し、マーケティングのプロとして活躍されています。常に新しいことに取り組んできた大森さんですが、いざというとき力を発揮するには力を抜くことも必要と語ります。

プライベートではサッカーをこよなく愛し、ワールドカップは毎回必ず現地で応援するという大森さん。動きは少ないけれどここぞというときにしっかり決める、メッシ選手のような働き方が理想という大森さんのインタビューをぜひお読みください。

大森研治

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

シャープやP&Gのマーケティング担当を経て、日本のインターネット黎明期である1997年にメディアレップの原型ともいえるインターネット広告事業で独立。その後は開業を控えたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)にデジタルマーケティングの責任者として参加。   それ以降も製薬会社アストラゼネカのデジタルマーケティングディレクターや航空会社ピーチアビエーションの新規事業Vice President、レゴランド・ディスカバリーセンター大阪のGMを歴任。   2020年、52歳で「Osaka大森マーケティングオフィス」を設立して独立。P&Gなどで培ったマスマーケティングとUSJなどで得たデジタルマーケティング、両方の知見と経験を持つのが強み。

大森研治

P&Gで学んだマーケティングのフレームワークが今の仕事のベース

大森さんはどんなきっかけでマーケティングのプロを目指そうと思われたのでしょうか?

 

大森さん(以下、敬称略):もともと大学で広告研究会というサークルに入っていて、企業と一緒にイベントなどをしていました。当時はまさにバブル全盛期で、企業が学生をプロモーションに活用することがよくあったんです。これがマーケティングに関心を持った最初のきっかけですね。

 

それから新卒でシャープに入社して、広告宣伝部に配属されました。そこではメディアチームとして媒体のプランニングや購入のほか、媒体社と一緒にイベントの企画などをやらせてもらいました。

 

新卒でいきなり大企業の広告宣伝部に配属されるのは、珍しいのでは?

 

大森:大学時代から広告宣伝に関わっていたからじゃないでしょうか。でも今思えば、新卒でやっていた仕事は良い意味でも悪い意味でも貴重な経験でした。メディアを扱う広告宣伝部って、すごくお金を使うところじゃないですか。当時のシャープでも年間の宣伝費は数十億の規模でした。22、3の若造でしたから、広告代理店からちやほやされて完全に勘違いしていました。

 

ただその勘違いぶりを、上司はちゃんと見ていたんです。メーカーですから、一円単位で製造コストを下げて必死に営業している。そんな中で莫大な宣伝費を使うのだから自分でも少しは稼いで来いと言われ、営業に異動になりました。でも自分としては営業よりマーケティングをきちんとやりたかったので、思い切ってP&Gのマーケティング職に転職しました。

 

シャープとP&Gではマーケティング業務に違いはありましたか?

 

大森:全く違うので、衝撃を受けました。現在私のマーケティングのベースにあるのは、実はP&Gのマーケティングフレームワーク。現在P&G出身の方がいろいろな分野で活躍されていますが、皆さんP&Gのフレームワークが基礎になっています。

 

例えばシャンプーの新製品を出す場合、P&GにはWHO(ターゲット)を深く理解して、WHAT(お客様のベネフィット)を正しく定義した上で、いくらコストをかけて、このターゲットにTVCMをどのくらい打てば売れるか」というロジックがあるんですよ。これ、おおよそ当たります。

 

現在はわかりませんが、私がいた頃のシャープにはこういうフレームワークはありませんでした。シャープでは、メディアとの関係を深くするのが宣伝部の役割。関係を深めることで露出を増やしてもらう、昔ながらの日本企業に多い発想です。でもP&Gは真逆で、メディアと深く関わる必要はないという考え。戦略に基づいてやれば結果は出るというスタンスで、フレームワークも確立されていました。消費者を理解して価値を定め、提供する。P&Gで学んだこのやり方は、他の業界でも応用できます。

 

P&Gは外資系でグローバル展開をしているので、コストにも厳しく合理的。ただシャープのやり方を全否定するわけではありません。日本には日本に適したやり方があります。メディアとの関係がよくなれば、コストを効率化できることもありますから。グローバル企業のやり方を無理に日本企業に押し付けても、うまく行かないですよね。

 

20代で起業と挫折。その後USJの開業に関わる

USJ時代

 

P&Gの後はどんなキャリアを積まれたのでしょうか?

 

大森:実はP&Gに勤めた後、1997年に一度起業しているんです。Yahoo!を本気でヤッホーと呼んでいた、まさにインターネット黎明期。P&Gではマスマーケティングをやっていましたが、インターネットは全く違うマーケティングの手法になるんじゃないかと思い、可能性を感じたんです。

 

今でこそメディアを束ねてインターネット広告を配信する「メディアレップ」は当たり前ですが、当時はまだ日本にありませんでした。アメリカでも始まったばかりの時期。そのビジネスモデルを日本に入れようと思い事業を始めました。

 

ただ当時はまだ企業がネットにそこまで予算を割く時代ではなくて、結局うまく行きませんでした。ちょっと早すぎた感じでした。

 

もともと起業を目指していたということでしょうか?

 

大森:起業家精神のような立派なものではなくて、本当に若気の至りです。独立してひと儲けしたらリタイヤしようみたいな甘い考え。だからあまりうまく行かなかったのかもしれません。そんなこともあって悶々としていたとき、ちょうど開業を控えていたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)がWEB責任者を募集していて、応募したらなぜか選んでいただきました。

 

USJをゼロから日本に広めるというお仕事は、面白かったのではないでしょうか?

 

大森:そうですね。デジタルの責任者としてゼロの状態から全部やらせてもらえました。わりと好き勝手なことができて、楽しかったです。USJという商材が面白いということも大きかったと思います。商材が面白いから、仕事も面白いみたいな。ただ当時のUSJはアメリカのユニバーサルと、大阪市と、出資する銀行の人間などが集まった組織で、調整とか大変なこともたくさんありました。

 

結果としては成功しまして、当時USJは世界最速で来場者1,000万人を突破しました。ただ2年目以降はいろいろな問題が起こり、経営危機まで追い込まれたんです。その後、第3セクターからゴールドマン・サックスの傘下に入り、ガラっと変わりました。森岡さん(編集部注:森岡 毅氏)の戦略思考&マーケティングでV字回復。

 

まさにドラマのような展開ですね。

 

大森:いろいろなことがありましたね。結局USJは11年もいました。だからやりきった感じはありました。

仕事の幅を広げるために、新規事業の開発や経営にもチャレンジ

ロシアにて 2018 FIFAワールドカップ

 

USJの後も、様々な業界で経験を積まれていますね。

 

大森:USJの後、製薬会社のアストラゼネカへ転職しました。これは人材会社からのヘッドハンティングでした。製薬業界の収益って、いかにドクターに薬を使ってもらうかですよね。だからMRという人の存在が大きくて、ドクターへの接待が多い営業スタイルです。でも欧米ではそういう従来のやり方を変えようという動きがあったようです。アストラゼネカも本社がイギリスなので、人件費がかかるMRからデジタルに変換したいという狙いがありました。

 

ただ製薬業界の人を呼んでも、改革にはなりません。だから全く別の業界からデジタル責任者を呼びたいということで、声をかけていただきました。

 

堅い業界と聞いていたので悩みましたが、当時の日本支社長が私と同じくサッカー観戦が趣味で意気投合しまして。最終面接で「入社して頑張ったらマンチェスターユナイテッドの試合に招待する」と言われて、入社を決めたんですよ。

 

アストラゼネカも外資系なので、マーケティングの考え方としてはP&Gと似ていました。ターゲットを深く理解して、What(提供価値)を決めてHow(施策)に展開するというやり方です。

 

その後は航空業界のピーチアビエーションへ転職されたとお聞きしました。こちらもまたガラッと業界が変わっています。

 

大森:製薬会社は思っていた以上に制約が多く、やりたいことができていない感じがあったんです。そんな時、ピーチが新規事業とマーケティングの人を公募しているのを知り、マーケティング職に応募。ところが面接で話しているうちに「新規事業をやってほしい」と言われました。

 

ピーチは徹底的にコストを抑えて、航空券を安くするやり方です。航空事業だけでは利幅は大きくないので、それ以外の事業で収益を上げたかったようです。「なんでもいいから利益を上げてほしい」と言われ、面白そうだなと感じました。ずっとマーケティング一筋だったので、自分の幅を広げるチャンスだと思いまして。

 

実際にどんな新規事業を立ち上げたのでしょうか?

 

大森:eコマースも立ち上げましたしいろいろやりましたよ。例えばCAを活用した広告ビジネス。CAが機内でアナウンスする時、最後に他の企業の広告も言ってもらうとかですね。新しいことにチャレンジできる企業体質でした。

 

その後レゴランド・ディスカバリーセンター大阪のGM(ゼネラル・マネージャー)に就任。さらに領域を広げています。

 

大森:レゴランドは、経営に関われるところに興味を持って応募しました。現在名古屋に大型テーマパークのレゴランドがありますが、ディスカバリーセンターはもう少し規模の小さな屋内型施設。日本には東京と大阪にあります。大阪は当時アルバイトも入れるとスタッフは80人くらいだったかな。GMなので、経営も含めて全体を見る経験ができました。

50代で2回目の独立。マーケティングのプロとして大阪の企業を支えたい

関西デジタルなマーケティング向上委員会での講演

 

その後独立されていますが、このタイミングで転職ではなく独立を選んだのはなぜでしょうか?

 

大森:転職という選択肢もありましたが、独立した大きな理由は年齢ですね。当時52歳だったので、あと10年くらい働けばいいかなくらいの気持ちでいました。もともとずっと頑張るというより、アーリーリタイヤしたいタイプでしたので。

 

私の場合20代で独立して挫折しましたが、あの頃とは違うぞという想いもありました。いろいろな経験を重ねてマーケティングの知見も深めたので、それを他の企業に生かせるかなと。独立後は基本的に一人で動いていますが、案件によって外部パートナーの方にも入っていただいています。

 

独立後に企業のマーケティングを支援する中で、やりがいを感じるのはどんなことでしょうか?

 

大森:いろいろありますが、例えばある地方自治体のクライアント様で、ふるさと納税のマーケティング支援をしました。その結果、ふるさと納税の金額を大きく伸ばすことができました。こういう案件は、独立したからこそ関われたのかなと思います。自治体によってはマーケティングへの理解が少なく進めづらいこともありますが、この自治体の方は企業ばりにマーケティングへの熱い想いがあって、うまくいきました。

 

反対に大変だったこと、壁にぶつかったような経験はありますか?

 

大森:やはりクライアント様は多種多様で、特にマーケティングに慣れていないクライアント様だと、なかなか話がかみ合わないことがあります。「マーケティングはこうあるべき」と話しても、通じない世界がそこにはあります。こんなときは先方の要望に合わせつつ、でも成果がなるべく出やすい方向に持っていきます。本当にあの手この手、という感じです。

 

考え方を変えるのは確かに難しいですね。

 

大森:私は現在大阪を拠点にしていますが、マーケティングってどうしても東京がメインになりがちです。広告代理店やベンダーも東京が多いですし。大阪発祥の企業でも、本社機能が東京へ行ったりマーケティング部門だけ東京に移したりすることはよくあります。

 

でも大阪には、なにわの儲かりまっか精神で頑張っている会社もたくさんあります。こういう会社がマーケティングをちゃんと導入すればもっと伸びるはず。もったいないですよね。

 

知らないことや体験したことがないことって、なかなか理解しづらい。それで大阪や関西の会社にマーケティングをもっと伝えたいと思って「関西デジタルなマーケティング向上委員会」(https://officeomori.com/?page_id=32)という活動を立ち上げました。大阪や関西の企業に集まっていただき、マーケティングスキルを向上させる活動をしています。毎回異なるテーマで実施しているのですが、SNSをテーマにした回では30社ぐらいの企業に参加していただきました。

 

名前だけでも面白そうですね。そういえば大森さんの社名にも大阪が入っています。

 

大森:東京にはマーケティングの仕事をしている人がたくさんいますし、私より優秀な人もたくさんいます。だから特色をだすには大阪でやっているということを出さなあかんと思って、社名に入れました。

頑張り続けるだけではなく「なんとかなる」も大切

みらいワークスにて 社員向けマーケティング研修

 

趣味はサッカー観戦と伺いました。ビジネスとサッカーに共通点はありますか?

 

大森:日本が初めてワールドカップに出場したときから、全大会現地で応援しています。次回のカタール(編集部注:2022年サッカーワールドカップ開催地)も現地に行くつもりです。ビジネスとサッカーの共通点、あると思いますよ。ビジネスは基本的に戦略思考。戦略を決めてから戦術に落とし込む、これはサッカーも同じだと思います。

 

日本の場合、10年以内にワールドカップでベスト4に入るという目的があります。優勝ではないところがちょっと謙虚ですよね。この目的のために戦略があり、それを戦術にしてピッチに落とし込みます。

 

ただ戦略や戦術をしっかり決めても、実際の試合ではその通りにいかないことも多々あります。そうなるとプレイヤーがその場で判断しなければなりません。だから選手個人のスキルも磨いて、判断力を高めていく。ここもビジネスと似ていると思います。

 

なるほど。実際にビジネスで趣味のサッカーは役立っていますか?

 

大森:仕事とプライベートは別だと考えているので、直接役立つことはないかな。ただサッカーの話で盛り上がることはあります。現在一緒にプロジェクトをやっているクライアントの方もサッカーが趣味で、ご自身でプレーもされるそうです。最初にプロジェクトスケジュールを相談したとき、カタールのワールドカップが始まるまでに終わらせましょう!という話になりまして。11月までにプロジェクトを完了できるよう、お互い頑張っているところです。

 

仕事も趣味も充実した毎日を過ごされているようですね。独立して2年とのことですが、今後の目標を教えていただけますか?

 

大森:今はクライアントの成果を出して、さらに出し続けるというのが最大の目標です。会社を上場させようとか、規模を大きくしようとかはあまり考えていません。クライアントが増えて人が足りない状況になったら、増員しようかなという程度です。

 

仕事も大切ですが、人生を楽しむことが重要だと思っています。だからいつまでも働き続けようとは考えていません。いつかヨーロッパに住んで、サッカーを見ながらちょっと働く、というのが夢かな。

 

独立する方って、大きな野望を持つ方が多いですが、私はそこまでではないのでどうなんだろうという気持ちもあります。ただ基本的になんとかなる精神なので。

 

なんとかなる精神を持つフリーランスの方、結構多いかもしれません。

 

若い頃「なんとかなる」「まあいっか」「やってやろうやないか」この3つを使い分けろと言われたことがあります。これは今でもそうだな、と思っています。ずっと「やってやろう」ばかりだと、しんどいじゃないですか。「なんとかなる」「まあいっか」があって、でも肝心なところで「やってやろう」みたいな感じですね。

 

サッカーで言うと、メッシという選手がそのタイプです。メッシはフォワードという点をとるポジションですが、ゴールキーパーよりも動かないと揶揄されたりします。それでも決める時にしっかり決める。

 

日本のフォワードは守備も求められるので、ものすごく動きます。サッカー選手って1試合に平均12、3キロは走るんですよ。ただ運動量が多すぎると、肝心なところで集中力が切れて決定力に欠けることも。

 

メッシの場合は、チームの戦略で守備をしなくてもいいことになっています。その代わりここぞというときに決めなければいけない。もちろんメッシが点を取るためには、周りの選手も必要です。例えばメッシが動きやすいよう、相手のディフェンスの注意を引く選手とか。チーム全体の戦術に基づいて、それぞれの選手に役割があります。

 

走り続けるといざというときに動けない、というのは確かに仕事でも実感することがあります。

 

世の中には走りながら点を取る選手もいますが、私はメッシのようなタイプが好きですね。ただし若いうちは走り続けることも大事。そこから見えるものもありますから。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

 

転職の度に新たな業界に飛び込み、マーケティングのプロとしてキャリアアップしてきた大森さん。マーケティングだけではなく新規事業開発や経営も手掛け、仕事の深さだけではなく幅も広げていらっしゃいます。しかしご自身では、挑戦することを意識していたわけではないそうです。「面白そうだからやってみたんです」とさらりと語る姿が印象的でした。

 

プロとして活躍しながらも人生をしっかり楽しむには、大森さんのようなバランス感覚が必要ということを改めて感じました。

 

 

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