スタートは鉄道の運転士 チャレンジを繰り返しながら自身の武器を磨くことで切り開いたプロフェッショナルの道

作成日:2019年1月9日(水)
更新日:2019年1月9日(水)

目の前の仕事に真摯に取り組み続け、プロフェッショナルとして独立。そこで思いがけず手に入れたのは、すべてを楽しめる自由な心でした。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは宮本聡さん。
一度独立した後、過去に在籍していた会社に社員として戻り、現在はそこで働きながらフリーコンサルタントとしての活動も続けていらっしゃる宮本さんですが、独立前は実に多彩なキャリアを歩んでこられました。そのスタートはなんと、鉄道の運転士!
稀に見る幅広いキャリアを築いた背景にはどのような経緯があったのか、独立を決意したきっかけは何だったのか。読みごたえ充分のインタビュー、ぜひお楽しみください。

宮本 聡

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

青山学院大学大学院国際マネジメント研究科卒業。鉄道会社、地域金融機関、不動産仲介会社、外資系金融経済情報会社、中間支援NPO、マンションディベロッパー、クラウドファンディング運営会社など、さまざまな業種での勤務経験を持つ営業コンサルタント/ファンドレイジングアドバイザー。現在は不動産会社に所属し海外不動産の販売と社会貢献活動を担当しながら、中小企業やNPO/NGOの経営や営業の支援を行なうコンサルタントとして活動する他、ファイナンシャルプランナーとして事業承継や資産活用の助言も行なう。非営利団体の理事や事務局などを複数兼務。

宮本 聡

鉄道の運転士からフリーコンサルタントへの道程

 

会社員を経て独立後、フリーコンサルタントとして起業。現在は再度会社員として働きながら個人事業主としての活動も続けていらっしゃる宮本さん。珍しいキャリアだと思うのですが、最初に独立して起業するまではどのようなお仕事をしてこられたのですか?

宮本さん(以下、敬称略):会社員時代は本当にいろいろな業種の会社にお世話になりました。新卒で入社したのは伊豆急行という鉄道会社だったのですが、その後、JA、不動産売買の仲介会社、金融経済情報を取り扱う外資系ベンチャー企業、中間支援非営利団体と転職を重ね、その次に現在も勤めているマンションディベロッパーと出会い、そこから独立して個人事業主になりました。

金融経済情報を取り扱うベンチャーというのは、新興国市場の金融情報・経済情報を金融機関や政府機関に提供するニッチな会社です。中間支援非営利団体というのはNPOを支援するNPOで、他のNPOの資金集めや広報などをサポートする団体のことですね。ちなみに、伊豆急行では運転士をしていました。

 

鉄道運転士をなさっていた方とお話しするのは初めてです!とても多彩なキャリアですね。どういった経緯でそのような幅広い業種を経験することになったのですか?

宮本:私はもともと伊豆の田舎の出身で、大学進学を機に上京したものの就職するタイミングでは都会が嫌になっていたこともあり、「地元に帰りたい」という気持ちから伊豆急行を選びました。当時の伊豆急行は東証二部上場企業で伊豆では最も大きな会社の一つでしたし、私が就職した1994年はまだ終身雇用が当たり前の世の中でしたから、もちろん私も「一生ここに勤めるのだろうな」と思いながら入社しました。しかし、7年勤めている間に会社を取り巻く環境が大きく変わってしまったのです。

退職する頃には上場が廃止になり、分社化によって規模も縮小され、伊豆という地域の景気も悪くなる中で、「このままここにいて定年まで働けるのだろうか」、「働けたとしても、先輩たちのような給料や退職金は貰えないのではないか」という不安が募っていきました。そのような思いから転職に踏み切り、入社したのが2社目のJAです。金融部門の営業として、預貯金を集めるところから始まり、ローンやJA共済、米、宝石など、さまざまな商材を売り歩きましたね。営業に目覚めたのはその頃です。

 

預貯金から宝石まで、本当に多種多様ですね。そこから不動産業界に転身されたわけですが、どのような背景があったのでしょうか?

宮本:JAではそれなりの実績を上げることができ、3年連続で営業目標200%達成県で月間トップの成績を取ったりもしました。その反面、次第にマーケットの小ささへの危機感や、地域密着型企業ならではの“ぬるま湯”のような感覚を抱くようになったのも事実です。そもそも営業先が2,000世帯くらいしかないので、その中でずっと好成績を残すのも難しいですし、地縁血縁が強いので努力が無駄になることも多い。それなら今のうちに都心に出てチャレンジした方が今後につながるのではないか、と思ったのが転職を考えたきっかけでした。

電車の運転士とJAの営業というキャリアでも、「ガッツがあればいい」ということで不動産会社に採用してもらい、東京にある大京住宅流通(現:株式会社大京リアルド)という不動産仲介会社に転職。そこでも職種は営業でした。

その次に金融経済情報のベンチャーに、そして中間支援非営利団体に移るわけですが、そこで出会ったのが、村上ファンドで知られている村上世彰さんでした。その団体は、村上さんの想いをカタチにするために立ち上げた団体で、村上さんは大口寄付者であり、アドバイザーにも就任されていたのです。そのご縁で、村上さんがオーナーであるマンションディベロッパーに転職し、営業として成績を上げた結果、執行役員になりました。現在在籍しているのもその会社です。

 

とても面白いキャリアですね。ご専門は営業とのことですが、法人向け・個人向けどちらも対応可能なのですか?

宮本:ええ、B to BもB to Cも経験がありますし、商材も問いません。私の経験上、不動産の営業パーソンは「獲物が取れなかったら飢え死にすればいい」という感じの狩人のようなタイプが多いのですが(笑)、そういうトップセールスマンは往々にして天才肌で、人に教えるのは苦手なことが多い。私はそういったいわゆる“カリスマ営業“ではなく、だいたいいつも「上位グループの中から下の方」くらいの立ち位置だったのですが、自分の成功パターンを人に指導したり、ある商材での経験値を新たな商材で応用したりといった、営業の「再現」や「汎用化」は得意でした。マネジメントという立場でもパフォーマンスを上げることができ、独立を決意できるくらいの自信も付いたのだと思います。

 

「何かを成し遂げたい」という想いを持っている人をサポートしたい

 

営業という仕事の「再現」や「汎用化」がご自身の武器になると気づいたのはいつ頃でしたか?

宮本:独立する前に勤めていたマンションディベロッパーで営業のマネジメントをしていた時ですね。初めは「難易度の高い顧客は自分が接客し、それ以外の顧客は若手に任せる」というやり方だったのですが、そのうちに、自分が前線に立たなくても報告を聞いて指示を出すだけで売れるようになってきたのです。それを続ける中で「営業指導は自分の得意分野かもしれない」と思うようになりました。

 

では、独立後にフリーコンサルタントとして携わっているのも営業組織のパフォーマンスを上げるための取り組みが多いのですか?

宮本:それが実は、営業コンサルの予定で始まった仕事が、結果としては経営コンサルになるパターンが多いです。始まりとしては営業に課題を感じている中小企業の社長から「営業部長への指導を頼みたい」、「営業の計画を作ってほしい」というオーダーが来るのですが、本質的な問題を探っていくと社長のマインドに問題があることがわかり、結果的には「ミッションやビジョンを作りましょう」という話になるわけです。

営業部隊が成果を出せない原因を探っていくとマネジメント層が抱える問題が見えてきて、さらにその原因を探っていくと「社長が明確なビジョンを持っていない」という現実に突き当たる、このパターンは本当に多いですね。

「この仕事を通じて何を成し遂げたいか」という問いに対する答えが社長の中にないため、現場の人たちはイレギュラーの場面に遭遇した時の“判断のよりどころ”がないわけです。「どういう顧客と付き合うことがこの会社を発展させるのか」、「どういうことが相手に喜ばれて次につながるのか」ということを、原理原則に従って現場の一人ひとりが判断できれば、おのずと成績もついてくるはずなのです。そういう場合には「ミッション・ビジョンを作るところから始めましょう」とご提案しています。

もちろん「そんなことは必要ない」と言われてお別れすることもありますが、「単に自分の財布が潤えばいい」という人のサポートはつまらないですし、やはり「何かを成し遂げたい」という想いを持っている人と一緒に仕事をしたいので、ご縁のないお客様が存在することは仕方ないと思っています。

 

なるほど。そういう想いを持っている相手かどうかというのはどういう部分から見えてくるものなのでしょうか。

宮本:いろいろと話をする中で・・・としか言いようがなくて恐縮なのですが、強いて言えば「意思決定の基準」でしょうか。意思決定というと大げさに聞こえますが、人生は意思決定の連続ですよね。今日のランチをどうするかも、どのお客さんにいつ電話をするかも意思決定。さまざまな意思決定の際に何を基準にしているのか?という点に着目して会話をしていると、その人の価値観が見えてきやすいように思います。

 

現在勤めていらっしゃる会社のビジョンはどのようなものなのですか?

宮本:オーナーの村上さんは「経済の血液であるお金を、社会にもっと還流させたい」という想いをたいせつにしており、それを実現するための施策が、企業への投資と子どもたちへの投資教育です。前者は眠っている企業保有の資産、後者は眠っている個人の金融資産を動かすための取り組みですね。

本当の価値を引き出せていない企業、経営者の努力不足によって価値が小さくなっている企業を買い、適切なガバナンスを効かせて企業価値を上げていく、というのが彼の投資手法ですが、背景にあるのは「正しくガバナンスを効かせた企業が繁栄していくべきだ」という考えです。とにかくお金が適切に回っていく世の中にしたい、と。

子どもたちへの投資教育は「子どもたちにお金のことを正しく伝えていきたい」という想いで始めたもので、社会貢献活動ということで村上自ら全国各地に授業をして回っています。私は主に海外不動産販売と社会貢献活動の二つの業務を担当していますが、そのうちの一つがこの活動の各種アレンジです。

 

なるほど。先日私も村上さんの『いま君に伝えたいお金の話』というご著書を読みましたが、確かにお金に関する教育をしてもらえる場が日本にはほとんどないですよね。それどころか、「お金は悪いものだ」と教えがちです。でも実際はそういうわけではない。ああいった教育が広まることでお金とうまく付き合える人が増えるのは素晴らしいことだと思います。

宮本:お金は単なるツールですからね。それは村上もよく口にすることです。企業も個人もお金のことを正しく知って正しく付き合おう、貯めたらちゃんと使って還流させていこう、そうすることで日本の経済もよくなるだろう、と。

社会貢献活動もやっているとはいえ在籍している会社の本業は不動産業なので、業種だけ見ると「その想いと直結していないではないか」と思われるかもしれませんが、私としては背景にある大きなビジョンに共感して、そのための役割の一つを担わせていただいているという認識です。

 

将来の不確実性は楽しんだもん勝ち

 

一度独立した後、再度会社員として働いていらっしゃるわけですが、個人事業主という働き方を経たことで“被雇用者”という立場に対する考え方の変化はありましたか?

宮本:ほとんどありません。雇用契約も業務委託も単なる契約形態の一つでしかなく、どの形態を選ぶかによって発生する権利と義務が異なるだけ、という感じですね。独立して起業したことでそういう感覚になりました。

時代が変化していくことも怖くなくなりましたね。むしろ先が見えないことも楽しめるようになりました。特に独立したことがないビジネスパーソンの中には将来が不安だという人が多いかもしれませんが、外部環境は否応なしに変化しますから、楽しんだもの勝ちなのではないでしょうか。

 

同感です。宮本さんの考える“フリーランスに向いている人”を教えてください。

宮本:自分の行動を自分で律することができない人は厳しいですよね。朝だって誰も起こしてくれませんし(笑)。与えられた役割をきちんとこなしていかないと仕事が切られていくだけなので、「自分との約束を守れる」というのは最低限の条件だと思います。

 

そういった考え方を持ち始めたのはいつ頃からでしょうか?

宮本:独立前の会社で執行役員になり、働き方に裁量が生まれた頃です。立場としては被雇用者のままだったのですが、経営層の仲間入りをして、勤怠も報告しなくてよくなり、必要な時だけ出社するという働き方も許されました。「好きなようにやっていいよ」と言われ、「好きなように、とは何か?」、「指示が来ないぞ?」と思いまして(笑)。そのタイミングで考え方が変わり始めましたね。

完全なる自由というのは、実は不自由なのではないかと思います。無重力空間で動き始めるには何らかの動力が必要だというのと同じことです。そういう“自由の中の不自由さ”を認識して初めて、人は自分の権利や義務を意識し始めるのかもしれませんね。

 

確かにその通りですね。それでは最後に、これから独立を考えている方々へのメッセージをお願いします。

宮本:自分自身、我ながらレアなキャリアだとは思います(笑)。私の場合は独立して複数の企業と仕事ができるようになったことで会社員時代よりも気持ちの健全性が保ちやすくなりましたし、「自由を得られた」という感覚も強く抱くようになりました。結果として、自分にとっては非常にいい働き方を選んだなと感じています。

これからは労働人口も減っていくことは間違いないので、ご自身のライフプランに合わせて業務委託や時短の雇用契約、週5日未満の雇用契約といった柔軟な働き方を積極的に活用していってもいいのではないでしょうか?労働者側も複数の企業と関わることでリスクの分散ができますし、企業側も人件費を変動費化することでチャレンジがしやすくなりますしね。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

プロフェッショナルとしてご自身の確固たる軸を持ちながら、終始笑いを交えて場を和ませつつインタビューに応じてくださった宮本さん。チャレンジに次ぐチャレンジ。さまざまな業種を経験する中でご自身の武器を見つけ、それに磨きをかけて独立し、先の見えないことすら楽しみだとおっしゃる宮本さんが語るエピソードの数々は、独立を考えているビジネスパーソンの不安を吹き飛ばしてくれるものだったのではないでしょうか。

「外部環境は否応なしに変化する」と宮本さんもおっしゃっていましたが、そんな時代だからこそ、生き方も働き方も“より楽しめる道”を選んだ方がいいのかもしれません。