「自分が培ってきたものをより多くの人のために使いたい」成長企業の広報責任者としての経験をもとに、PR業界全体への貢献を志す

作成日:2017年10月16日(月)
更新日:2018年6月13日(水)

社会人人生のすべてをPRに捧げてきたプロフェッショナルの新しいチャレンジ。それはPRを通じて「もっと世の中に貢献したい」という純粋な想いでした。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは小西みさをさん。
アマゾンジャパン、ソフトバンクなど、名だたる成長企業で広報責任者を歴任された後に独立。現在はPRコンサルタントとしてご活躍されています。華々しいご経歴とは裏腹に、時に笑いを交えながら気さくにお話しくださる小西さんに、縁の下で企業の成長を支え続けてこられた会社員時代のご苦労や、独立に至った経緯、今後の展望など、ざっくばらんなお話をたっぷり伺ってきました。

小西 みさを

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

アメリカの大学に留学後、ユニデン、セガ、ソフトバンク、アマゾンジャパンの広報部門に勤務。アマゾンジャパンでは約13年間にわたり広報責任者を務め、2017年1月に独立。AStory合同会社を設立し、現在はベンチャー・中小企業を中心にPRコンサルティング・PR活動サポートに従事。 AStory合同会社:http://astorypr.com/

小西 みさを

名だたる成長企業で広報責任者を歴任

アマゾンジャパンやソフトバンクなど変化の激しい企業の広報部門責任者という立場を歴任され、2017年1月に独立なさった小西さんですが、これまでのキャリアのほぼすべてをPRというお仕事に捧げてこられたとお聞きしています。この分野に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか?

小西さん(以下、敬称略):おかげさまでさまざまなご縁があり、社会人になってから今まで一貫して広報のお仕事をさせていただいています。最初のきっかけは大学時代の留学先であるアメリカで日本企業から留学していた社会人に言われた「君が企業にいたらPR部門にいそうだね」という一言でした。

当時は私もまだ学生で、企業にどんな部門があるのかよく知りませんでしたが、その一言をきっかけにして自分で色々と調べていくうちに「私はPRをやりたい!」と強く思うようになっていました。今になって思い返すと非常に安易ですね(笑)。

 

そんなきっかけがあったのですね!とはいえ、新卒での広報配属は一般的には狭き門だと思うのですが、初めから希望通りの職種に配属されたのはすごいことですね。

小西みさを picL小西:留学中に参加したセミナーで、日本に本社のある会社の社長さんとお話させていただく機会があり、その方に「PRをやらせてほしい」とアピールしてみたところ、熱意を評価してくれたのか日本の本社でたまたまPR職を募集しているということで人事部に紹介していただき、その流れで応募させていただき、面接を経て無事入社することができました。

その会社で最初の上司だった方が私の入社後間もなくセガ(現セガサミーホールディングス株式会社、以下セガ)」に転職したのですが、しばらくしてその上司に声をかけていただき、私もセガに移りました。ちょうどセガが広報を拡大しようとしていた時期にたまたまご縁があった感じです。1社目と2社目に入社した経緯は本当に人の縁に恵まれ幸運でした。

当時のセガは成長期で、特に成長著しい欧米市場について正しく情報発信していくために、海外子会社との連携が必要でした。私は多少英語ができるという理由でその担当者に抜擢され、アメリカやヨーロッパのチームと連携しながら海外事業の認知を高めたり、グローバルブランドとしてのセガをアピールする仕事をさせていただきました。セガには素晴らしい先輩方が大勢いて、広報経験の浅い私に対しても常に丁寧に指導してくださったため、お蔭様でPRパーソンとしての根幹となる部分を構築することができました。当時の経験は今の私の基盤になっていると思います。

 

その後、ソフトバンクを経てアマゾンジャパンに移られた際にはどういった経緯があったのですか?

小西:セガ時代に、当時ソフトバンクの顧問をなさっていた方とお仕事をさせていただいたことがあったのですが、出産後に働き方を変えるために転職を考えていたところ、その方から「ソフトバンクでも人を募集していますよ」というお話をお聞きしたのです。それで受けてみたところ、ご縁があり、時間の面でも融通を利かせてくれたこともあり、入社に至りました。

当時のソフトバンクはECやネットビジネスのジョイントベンチャーを次々に立ち上げていたフェーズでした。ですので、国内外を問わず次々と設立された何十社という子会社のブランディングをする一方、海外メディアを対象に取材や特集を組んでもらうための働きかけや、日本のカスタマーに向けたブランディングなど、本当に目まぐるしく中身の濃い毎日を過ごしていました。そんな中、入社して丸4年経った頃から現在の通信ビジネスの先駆けであるYahoo!BBのサービスがスタートしました。

その段階で私としては「会社が新しいフェーズに突入したな」、「私個人としては次のチャレンジをするべき時が来たのかな」と感じ、転職を考え始めました。その後、ヘッドハンターにお声をかけていただいた転職先候補の中の一つがアマゾンジャパンでした。当時2003年頃のアマゾンはまだ社員も100人いるかいないかという規模でしたし、赤字会社で日本ではイメージもあまり良いとは言えず、初めは私も偏った見方をしていましたね。ただ、実際に面接の場に行ってみたところ、そこに出てきた人たちのレベルが想像以上に高かった上に、私の上司になるシアトル本社のアメリカ人の方が素晴らしい人格者だったんです。こんな言い方は非常におこがましいのですが(笑)。

加えて、私にとってベンチャーという点でも外資という点でも、初めての会社だったので、新しいチャレンジをするには悪くない環境だとも思いました。「今までとは違う視点で仕事ができるかもしれない」「まったく新しい環境で自分を試してみたい」、アマゾンへの転職を決めたのはそういう気持ちからでした。

アマゾンジャパンを日本一にしたタイミングで独立を決意

アマゾンジャパンでの13年間も非常に変化の激しい日々だったのではないかと思うのですが、印象に残っていることはありますか?

小西:おっしゃる通り、アマゾンジャパンに13年いたと言うと驚かれることが多いくらい、本当にスピード感のある職場でした。1年1年がものすごく速くて「あっという間の13年間だったな」というのが正直なところです。

PRというのは事業部のサポート部隊なので、企業がどこを目指しているのか、その方向性に応じて戦略も仕事の内容もターゲットも変わってきます。言い換えれば、企業のやりたいことが明確に見えているほど、やることの意義を感じられる仕事なのです。アマゾンという会社は非常にわかりやすいゴールやビジョンを掲げていましたので、その点ではやりがいがあった一方、13年間にわたって次々と新規事業が立ち上がり事業分野を拡大し続けていたので、毎年新たな会社のPRをしているかのような、変化のスピードに応じた仕事の仕方が求められました。それくらい流れが速かったことが一番強く印象に残っています。

 

入社された時は100人前後だった社員が、独立される頃には3,000人を超えていたそうですが、そのように会社のステージが変わっていく中で一番大変だった時期はいつ頃でしょうか?

小西 picL小西:やはり入社当時が大変でしたね。先ほどもお話した通り赤字でしたし、今とは比べ物にもならない小さなベンチャー企業でしたから。PRというのは広告と違って信頼がないと報道してもらえず、継続した露出になっていかないので、最初はとにかく「どうすれば信頼してもらえるか」というところに時間をかけました。

例えばアマゾンの場合、外から見るとWEBの世界なので、当時は「こんなの明日見たら、なくなっているかもしれないよね」と言われてしまうこともありました。しかし、実際は裏側にはさまざまなテクノロジー、ノウハウの詰まった物流センターを持っていて、それによって豊富な品揃えや迅速な配送が可能になっているわけです。それを証明するため、記者の方々を物流センターにお連れして、他社にはないアマゾン独自の仕組みを可能な限りお見せし、イメージを変える努力をしました。他にも、実店舗を置かずに全国のお客様を対象にしているからこそ提供できるアマゾンならではのランキングデータやトレンドがあったので、そういったものを新聞や雑誌社にサンプルを持っていき、既に採用していた他社の情報と置き換えてもらったり新たにコーナーを作っていただくような働きかけもしていました。

アマゾンならではの強みを分析し、それをストーリー化してメディアに提供することで、アマゾンという名前が継続していろいろな場所に露出していくような仕組みを作っていきました。

 

ソフトバンクに入られてからアマゾンを経て独立されるまでずっと、成長し続ける企業にいらしたわけですが、やはり小西さんご自身も「成長したい」というお気持ちを強くお持ちなのでしょうか?

小西:そうですね。もともと暇になったりどこかに落ち着いてしまったりすると不安になってしまう性格なので、「あれが足りない、これが足りない」と言いながら忙しく動いている方が性に合っているんですよね(笑)。

その意味では、みるみる成長していくアマゾンで自分が会社に貢献するには「もっとスキルを高めなければ、ネットワークも広げなければ、企画力もつけなければ」と思うことができ、努力し続けることができました。毎年高いゴールを求められて、絶対に達成しようと死に物狂いで努力することができたのは、自分に合った環境だったのではと思います。

 

アマゾンを辞めて独立されたのは今年の1月だそうですが、そのタイミングでのご決断には何かきっかけがあったのですか?

小西:入社した時からずっと「アマゾンを日本でナンバーワンのブランドにする!」という気持ちで仕事をしてきました。そんな中、2015年に株式会社日経BPコンサルティングさんが発表されているブランドランキングにおいて、晴れて日本の500ブランドの中でトップになれたのです。そうそうたる大ブランドを抑えてアマゾンが1位になったことで、私としても「あぁ、ついに自分の目指していたものが形になったな」と感じることのできる、大きなターニングポイントでした。

更に、その頃にはもう毎日取材依頼をいただき、自分たちから働きかけてPRをしていくようなそれまでのステージとはまったく違う段階に来ていました。「ここまで来たらもう自分でなくてもいいかな」、「私個人としてはまた新たなチャレンジをしてみたいな」と思うようになり、起業への思いが強くなりました。

私が入社した当時のアマゾンは書籍専門でしたが、その後の13年間でアウトドア用品やスポーツ用品、ファッション商材、消費財、自社ブランド商品、デジタルビジネスなどさまざまな分野で数えきれないほどの新規ビジネスが立ち上がりました。わかりやすく言えば社内にベンチャー企業が次々にできたような状態だったのですが、そういった幅広い分野や産業にまたがるようなビジネスをPRとしてサポートしていく過程で「この経験があればもっと様々な分野でPRに困っている多くの企業の役に立てるかもしれない」と思うようになったことも、独立を考え始めたきっかけの一つでしたね。自分が培ってきたものをより多くの人のために使いたい、もっと世の中に貢献したい、そう思うようになったのです。私としても、敢えていろいろな業界のサポートをさせていただきながら、さらに高みを目指して成長していきたいという気持ちで日々精進しています。

PR業界全体への貢献を目指して

アイデアを考えるために大事にされていることは何でしょうか?

小西:PRにとって引き出しは多ければ多いほど、さまざまな企業のニーズに応えられる企画作りのため大変重要です。自分の引き出しを増やすことは独立した今も意識して続けています。そのため、毎日さまざまなメディアに触れますし、メディアの方、異なる職種の方・年齢の方など日々多くの方々にお会いし、情報交換をしています。また、失敗から学ぶことも大切にしています。会社員時代にもチームメンバーによく話していましたが、新しいチャレンジは重要。でも失敗はするかもしれない。大事なことは失敗したらそこから何を学んで次につなげるか。また成功したと思われても次にもっと精進できるように改善点を見出こと。現状に満足しないことが成長への架け橋であり、自分の幅を広げることだと信じています。

その他、自分の経験だけではなく、他社の成功事例を分析して学ぶことも大事だと思います。「この会社はいろいろなところで記事になっているな」「どうしてこんなに紹介されているのだろう」という疑問を抱くことが第一歩。そういう事例を研究していくと「こんなアイデアがあったのか」という発見に出会うことがあるのです。そういったものは良い所をどんどん盗んで(笑)、自社に合うようにカスタマイズして自分のアイデアを付加して精度を高めていく。そういう訓練も、積み重ねれば大きな財産になると思います。

 

小西 picR

なるほど。それは広報のみならず私たちにとっても非常に勉強になります。では、今後やっていきたいことや目指している方向性があれば是非教えてください。

小西:独立してから半年間、自分の経験値と学びを増やすという意味でもいただけるお仕事はすべてお受けしてきました。そんな中でようやく自分のやりたいことが見えてきたので、そろそろ少し落ち着いて長い目で先のことを考えていきたいと思っているところですね。

個人的には、単に自社の売上を上げていくだけではなく、PRという仕事自体の認知度を上げていくことや、PR業界の人材育成にも貢献したいと思っています。「PR未経験ですがPRをやることになりました、でもPRってどういうことなのかよくわかっていなくて・・・」という方がかなりの数いらっしゃるのですが、私の経験上、ベンチャーはもちろん、場合によっては大企業でも「PRとは何か?」や「PRの仕事の仕方」を教えてくれるプロフェッショナルは多くはありません。その結果、皆さん見よう見まねで「よくわからないけどこうかなぁ?ああかなぁ?」と試行錯誤しています。残念なケースでは記者と社内の板挟みになって単なる伝書鳩のような存在になってしまっている。そんな状況を少しでも改善できるようにサポートしていきたいという想いがありますね。今でもフリーランスのPRパーソンが集まっているコミュニティで講演を開いたり、スタートアップの企業さん向けにPRの話をする機会を設けたりしながら、PRの正しい理解と上手な活用方法を広めていくような活動も行っております。

 

それは素晴らしい取り組みですね!何年後かにその活動のお話を是非ともお伺いしたいです。では最後に、今後独立を考えている方々にメッセージがあればお願いします。

小西 picL小西:私も自分で独立してみて実感しましたが、やりたいという気持ちがあるのならやってみた方がいいと思います。私の場合は年齢的なこともあり、すべての条件が揃うまで待っていたら高齢者になっていたかもしれないので、なおさらそう思うのですが(笑)。一人でやっていると体力も気力もいるので、決断するなら早いに越したことはないですね。若ければ若いほどやり直しもききますし。

独立してから若い起業家とお話する機会も増えたのですが、自分の子供のような年代の方々とお話していると、失敗に対してまったく抵抗がなくて「すごいなぁ」と心から思います。「やってなんぼですよ」という感じで。素晴らしいですよね。

仮に失敗したとしても、「起業経験を経てもっと大きな資本の中でこういうことをやりたいと思うようになった」という方は、喜んで採用してくれる会社がたくさんあると思います。働き方が変わる中、私も自分に期待して一歩を踏み出しましたので、若い皆さんも是非頑張ってほしいと思いますね。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

名だたる大企業で長きにわたり責任者を務めてこられた、まさに広報のプロフェッショナルである小西さん。「メディアの方々とはギブアンドテイクの関係でなければいけない」、「自分のために時間を割いてくれた相手には、きちんと相応の情報提供できるように意識している」、「独立した以上うまくいく保証はないので、努力を怠らないようにしている」といった言葉の端々に謙虚さがにじみ出ていらっしゃり、このお人柄も小西さんのキャリア形成において大きな役割を果たしてきたのだろうなと感じさせられる素敵なインタビューでした。

小西さんが最後におっしゃった「自分に期待して一歩を踏み出した」という一言も非常に印象的でしたが、小西さん同様、自分の未来に期待して、挑戦したいと考える方が一人でも多く現れることを願ってやみません。