無印良品を立ち上げたチームの“レジェンド”に聞く、ブランド立ち上げ成功のポイントとは?
「無印良品」といえば、今や日本を代表するブランドの一つ。1980年、小売りチェーン「西友」のプライベートブランド商品として、家庭用品9品目・食品31品目を販売するところからスタートした無印良品は、およそ7000品目の商品を扱うまでに成長。その勢いは日本のみならず、日本を含む31の国・地域で店舗を展開するまでに広がっています。
その無印良品というブランドの立ち上げに際し、チームの一員として携わってきた“レジェンド”のお一人が相澤裕子さん。今回は相澤さんに、学生時代の学びや無印良品に携わるようになったきっかけ、ブランド立ち上げにまつわるさまざまなエピソードや成功の秘訣について、お話をうかがいました。
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1.無印良品のブランドのはじまり
1)パリ留学で「ていねいな暮らし」を体感。これがのちのヒントに
相澤さん(以下、敬称略):私はもともと、大学では幼稚園教諭を目指し勉強をしていました。両親が、私を教育の道へ進ませたいと考えていたからです。でも学ぶなかで自分に何ができるかと考え、私自身は教育以外の道を模索しようと考えた。そして大学卒業後人々を美しく変えるプロフェッショナル・スティリストアカデミー(デザイン&プロデュース)に進学し首席A修士課程習得しましたー渡欧遊学。女性の自由と美の歴史を変革してしまうクリエイターをスティリストと呼び、益々老舗メゾンでは皇族筆頭に女優や社交界のためのオートクチュールが華やかなスキルであった、しかし、それを一般化へ変革させたパイオニアがモード界に新たなデザインのブランドを誕生させた存在が一際クールにデビュー。その中で私は、モードの原点とエスプリ(精神)と、それは何のためかを問い、同時にブランドの是非を模索して行った。
パリの生活では、皆さんが自分の暮らしを大事にしていました。パリというと「エレガンス」「モード」といったキーワードを思い浮かべがちですが、それそのものがあるというよりは、ていねいな暮らしがあって、そのなかにおしゃれのエッセンスやエスプリ(精神)がある。物を大事にして、祖父母や両親が使ったものを子供に受け継いでいるといったこともよく見かけました。
そういう空気に接したあの時間に、私は「こういう生活、こういう文化をつくるにはどうしたらいいだろう」とよく考えていました。この経験は、のちの無印良品の仕事にとっても大きなヒントになっています。
2)百貨店プロデュースを経て、堤清二代表との出会いへ
相澤:帰国後は、学校時代の先輩からお誘いいただき、百貨店のプロデュースを手がける会社でクリエイティブディレクターの仕事をしていました。当時はまだ「ブランディング」という言葉は一般的ではありませんでしたが、この会社が手がけていた「プロデュース」には今でいうブランディングも含まれていました。
そのご縁で、堤清二代表(元:西武流通グループ代表、小説家)と出会いました。当時の堤さんは、西武流通グループの中の一小売店である西友でオリジナルのブランドを仕かけようと動いておられました。今のプライベートブランドですね。当時は5ブランドの製品が検討されていて、無印良品はその中の一つ。まだ「無印良品」という名前もなく、ブランドというよりも製品群という状態でした。
堤代表は、そのオリジナルブランドのために、西友の中に「キークリエイティブチーム」を設立し、クリエイターの方などを招集。私は、私をこの業界に誘ってくださった先輩と一緒に、このチームに参加し、オリジナルブランドのファッションディレクターを担当することになりました。1979年、23歳のときのことでした。
2.コンセプトづくり、そして復活を遂げたショーの開催
1)「コンセプト9割、アクション1割」で3年かけたコンセプトづくり
相澤:ブランドの立ち上げに際して私たちが大切にしていたのは、「コンセプト9割、アクション1割」ということです。一般的に事業をおこす際には戦略を立てて実行するというプロセスをとりますが、この戦略が「コンセプト」、実行が「アクション」にあたります。私たちはこのコンセプトづくりに、全体の9割ともいえるほどの力を注ぎました。
コンセプトを、きちんと創ることができれば、その後の実行を支える強い“柱”になります。反対にコンセプトが固まっていなければ、実行後に、さまざまな点でブレが生じがちです。事業は生きものですから、たとえ完璧な戦略を練り上げていたとしても、そのとおりに進むとは限らない。完璧な着地が保証されるものではありません。でも確固たるコンセプトがあれば、何が起こっても対応できるのです。
ですから、コンセプトをつくり上げる段階には多くの時間をかけました。どのようなターゲットに向けてどのような製品をつくるかといったことをゼロからチームで議論して、コンセプトを練り上げる。練ったコンセプトを、今度はさまざまな角度から「これで良いかどうか」「これをお客様に販売して大丈夫かどうか」と、自分たちでチェックする……。時間をかけてこれを繰り返し、後に「無印良品」となるブランドのコンセプトはつくり上げられました。
2)無印の商品には「わけ」がある。その「わけ」をタグで伝える
相澤:ブランド開発にあたり堤代表がおっしゃっていたのは、「人の手のぬくもりをしっかりと表現したい」ということ。そして1980年の誕生以来、無印良品のものづくりに一貫している考え方は「わけあって、安い。」。そのわけとは「素材の選択」「工程の点検」「包装の簡素化」の3つです。
当初から生成りというコンセプトカラーの表現では、再生糸と、又生機であったりー生まれたばかりの「つくろわ無い」漂白剤や染料を使用しない手順ではない人の目や環境にやさしいから。この椎茸が安いのは、干し椎茸の形を選別せず割れた椎茸も生かしているから。というように、素材の選択、工程の選択一つひとつに「わけ」があり、その価格設定にもそれを実現した「わけ」があるのです。
この戦略に私たちは自信をもっていましたが、私はそこでさらに踏み込んで、それぞれの商品にあるその「わけ」をきちんと表現しましょう、と提案しました。ものづくりはいろいろな人の手を通って実現されます。その通る手一つひとつに存在する「わけ」をきちんと伝えることが、「人の手のぬくもりを表現したブランドづくり」につながると考えたのです。
そして誕生以来今に至るまで、無印良品の商品タグには、その商品の成り立ちにまつわる「わけ」が記載されています。
3)コンセプトを伝えるファッションショーの開催が売上を変えた
おかげさまで多くのご好評をいただいている無印良品ですが、すべてが順風満帆というわけではもちろんありませんでした。私のメインの担当である衣料・ファッション分野も最初のうちは、お菓子や食品のようには手に取っていただけない時期がありました。
私はあるとき、青山の直営店に2週間ほど通い、売り場とお客様の様子をひたすら観察。その結果、「お客様は、無印良品の衣料品をどう着こなせば良いかがわからないのではないか」「着こなしに迷って買いづらいと、お感じなのではないか」という仮説に行き着きました。
「こびない」ということも信条の一つにしていた無印良品は、店頭のディスプレイもどちらかというと簡素。商品の提供自体はできていても、着こなし方を伝えるところまではできていませんでした。そこまでをきちんと伝えないと、商品の魅力を伝えることにはならないと思ったのです。
そこで私が提案したのがファッションショーの開催。それも、プロのファッションモデル然とした方が闊歩するものではなく、一般のお客様がご自身の姿を重ねていただけるようなモデルさんに無印良品の商品をまとってもらうファッションショーを提案しました。そのショーを通じて私は、無印良品のコンセプト、服に込めたライフスタイルの提案、それぞれの商品に存在している「わけ」を伝えたいと思いました。それこそが、無印良品ブランドの衣料品を本当の意味で成立させるために必要な策だと——。
最初は堤さんはじめ、大半の方に反対されました。「西友という小売店の一ブランドが、ファッションショーなんてやっても意味がない」というわけです。それでも私は、「お客様はそれを見たいとお思いです。今やらなければ、無印のコンセプトはお客様に伝わらない。新しい暮らし方の提案などできません」とごり押し、青山のレストランを貸し切って開催しました。結果は大成功。そこからものすごく売れるようになりました。
3.ブランド立ち上げ成功の秘訣
相澤:キークリエイティブチームが結成され、どういうものづくりをしたいか、どのようなブランドをつくるか、と日々議論を重ねたなかから生まれた無印良品は、多種多様な試行錯誤を重ねてきました。その過程で、私たちが特に大切にしてきた3つの要素をお話ししたいと思います。
1)コンセプトをブレさせない
一番大切にしていたことは、「自分たちが創ったコンセプトに忠実に、アクションを進めていく」ということです。
お客様のニーズを知ることは重要ですし、ニーズを知ったらそれに寄り添いたくなるもの。ですが、お客様への寄り添いが度を越して「こび」になってしまうと、ブランドの誇りや価値が下がってしまいます。お客様や市場にこびない、コンセプトをブレさせないブランドだからこそ、お客様は買いたいと思ってくださるのです。そこを忘れない意識が肝要です。
「一度つくり上げたコンセプトを変えてはならない」ということではありません。市場環境の変化などに応じて、コンセプトの見直しを求められることもあるでしょう。大切なのはあくまで、こびない、ブレないこと。自分たちのブランドの“芯”を守るということです。
2)お客様の“半歩先”をいく
ライフスタイルを提案するというと、お客様や時代の一歩先、二歩先を進み、ファッショントレンドをつくるというようなイメージをもたれるかもしれません。けれど無印良品は、お客様の“半歩先”を歩くという感覚、時代を先取りしすぎないということを大切にしていました。
もちろん、私たちがいいと思うものをコンセプトとして商品に盛り込み、商品を通じてライフスタイルや暮らしを提案することは行っています。これは特に、商品開発から販売戦略を担うマーチャンダイザーという立場に就く方には必要な意識です。
ただ無印良品は、いつもお客様の近くにいたい。いつもお客様に寄り添っていたいのです。“一歩先”ではなく“半歩先”なら、お客様の隣りに寄り添いながら、前にも後ろにも動くことができます。もしお客様の歩みと少しずれてしまうことがあったとしても、半歩の距離にいれば修復できます。こうしたお客様との距離のとり方は、ブランドのあり方によって異なると思います。自分の手がけるブランドにとって一番いい距離を探ることが大切です。
3)自分が“購買者の一人”として体感する
私たちが無印良品の商品を考えるときはいつも、「こんなのあったらいいよね、便利だよね」という発想を大事にして、「自分たちがこれを着たいと思うかな」「これ使いたいかな」と自問自答していました。作り手のそうした気持ちの蓄積の結果が無印良品の商品であるといってもいいと思います。つくった商品についても、お客様の代表としてこれでいいかどうかを自分たちでチェックするというプロセスを絶対に怠りませんでした。
「自分たちが体感しないものはつくれない、伝えられない」——。無印良品に携わってきたなかで折に触れて実感してきたことであり、現場の目線を大切にして自ら世界を回っていた堤さんからも教わったことです。現場にはたくさんのヒントがあります。
ブランドを立ち上げようとする方には、自らお客様の中に入っていって、お客様の目線に立ち、お客様が何を求めているかを体感していただきたいと思います。昨今はインターネットで得られる情報もありますが、それだけではなく、自分の手と足と五官を使って体感し、認知していただきたい。これがないと、頭でっかちになってしまいます。
4.まとめ
日本有数のブランドである「無印良品」。その立ち上げに携わったお一人である相澤さんのお話には、ブランドの立ち上げ、ブランディングに関する直接的な知見はもちろん、背景となる意識のもち方など、多くの気付きがありました。
無印良品の立ち上げに際してはコンセプトづくりが重視されたというお話がありました。その中で相澤さんが、「コンセプト創りにきちんとリソースを投じ、内容をしっかり詰めれば詰めるほど、ブランドの成功期間を長くすることができる、というのが私の実体感」と語っておられたのが印象的でした。
コンセプト設定というとどうしても身構えてしまいがちですが、相澤さん曰く「最初は、自分が『こうしたい』『こういうものをつくりたい』という夢をたくさん書き出してみてください。まず自分が心動かされるものでないと、お客様の心を動かすことはできませんから」とのこと。
マーケティングやマーチャンダイジング、ブランディングにはさまざまな手法があり、ビジネスの確度を上げるという観点では重要なノウハウです。他方で、多くの方の情熱や夢を凝縮させたコンセプトが長く愛されるブランドを生み出す土台となった、という「無印良品」のお話も得るものが非常に大きいと感じた取材でした。
(株式会社みらいワークス Freeconsultant.jp編集部)
監修者プロフィール
相澤 裕子
大手小売業のファッション・ディレクターとして着任し、小売業初の自社ブランド構築立上げ事業に携わり、コンセプト設計、マーケティング、販売促進、同時に物作りのクリエイティブワークをはじめ、原材料の仕入れルートと製造の背景創出とマーケティング戦略などのファッションビジネス化へ総合的クリエイションと政策・戦略・企画構築に携わる。その後、日本国内繊維産業界、ファッションアパレル産業界、総合商社、百貨店、専門店、小売店、各業界の産業構造の改革のファッション・ビジネス化へオーガニゼイション。海外では、欧米老舗企業のラグジュアリー・ブランド再構築を手がける。パイオニアAプロジェクトー大手上場企業や中小企業のアパレル中心に、インテリア、照明、ジュエリー、コスメ、雑貨、飲食など異業種、報道などの新聞社の経営者育成の企業最高顧問、そして上場企業の社外取締役を務め、他講演、セミナー、執筆に勤しんでいる。