「いってらっしゃい、また明日」 幼い息子のひと言で決意した“独立”という働き方がもたらした新たな人生

作成日:2020年2月17日(月)
更新日:2021年11月17日(水)

環境が変われば“当たり前”の基準も変わる。「家族との暮らし方」という、人生のベースとなる“当たり前”を変えるには、働き方を変えることが一つの手段なのかもしれません。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは小西薫さん。
キヤノンで6年間にわたって新規事業開発に携わるも、「自分が関わった商品やサービスを世に出したい」という想いを諦められずに転職。創業間もないベンチャーで自社サービスのプロジェクトマネージャーとして活躍後、独立・起業。現在はコンサルタントとして活動していらっしゃいます。
学生時代から「ワークライフバランスを保ちたい」という想いを抱いていた小西さんの人生は、“独立”という働き方を選択したことでどのように変わったのか。歩みたい人生から働き方を逆算することで幸せな生き方を手に入れた小西さんのインタビュー、ぜひお読みください。

小西 薫

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

神戸大学卒業後、キヤノン株式会社にて新規サービスおよびUIの提案とそのプロトタイプの作成に携わる。その後、株式会社モンスター・ラボにてデジタルプロダクト開発のプロジェクトマネージャーに従事。2014年2月に独立し、株式会社ニコプロダクションを設立。現在は、UI/UXの専門家としての立場を軸にコンサルタントとして活動している。   ◆株式会社ニコプロダクション:https://nicopro.co.jp/

小西 薫

「将来のキャリアが見えない」という悩みの中、震災を機に転職

 

2014年2月に独立・起業し、現在はIT関連のコンサルタントとして活動中の小西さんですが、学生時代の専攻はロボットの開発だったそうですね。

小西さん(以下、敬称略):神戸大学でレスキューロボットを開発する研修室に所属していました。元々、人工知能に興味があり、ロボットの歩行に応用しようとしていました。ですが、在学中には歩行するには至らず、「瓦礫上でロボットの足をどう動かすか」といった機械制御に近い内容でした。

 

ご卒業後はキヤノンに就職されたそうですが、どのような観点で企業選びをしたのですか?

小西:当時のキヤノンにはアドバンスUIデザイン室という部署があり、そこでユーザビリティデザインを行なう専門職を募集していました。大学でロボットを動かす時に使う画面などのUIに興味が移ったので応募したのですが、その点では関係があるものの、キヤノンの事業内容とはあまり共通点のない分野を学んでいた学生でしたから、就職できたのは本当に運がよかったと思います。

同級生のお姉さんがキヤノンに勤めていて素晴らしい会社だと聞いていたことも決め手になりましたね。仕事以外にもやりたいことや興味のあることがたくさんあったので、きちんと休みが取れて、異動や転勤もないという点も魅力的でした。

 

当時からワークライフバランスを保ちたいというお気持ちがあったのですね。仕事内容はどのようなものだったのですか?

小西:既存製品のUI改善や新規事業の提案が主な仕事でした。毎年違う事業を提案させてもらえたので楽しかったですね。ただ、製品化・販売化までの道のりは遠く、自分が考えたものが世に出ないというフラストレーションもありました。「5年後、10年後の会社の未来を考えよう」という趣旨のプロジェクトは楽しかったのですが、もともと会社の計画にないことを提案するので製品化されるまでのハードルがとても高く、見送られた提案に似た製品が他社から出ることもあり、それは辛いところでした。

 

なるほど。キヤノンを辞めたのはそれが直接の原因だったのでしょうか?

小西:それもありましたし、将来のキャリアが見えないという悩みもありました。「自分の関わった商品やサービスを世に出したい」という想いで入社したのに、結局、自分がいる部署では立場が上がっても、他部署との調整ごとを担う役割が付加されるだけで、アイデアが製品化に近づくわけではありませんでした。

当時まだ保育園児だった息子が小学校に上がった時、1年生の夏休みをどう乗り越えるのか、というのも問題でした。妻は同じ部署の2年先輩だったのですが、妻は会社を辞めたくないだろうし、妻が辞めて自分が残って出世を目指すのも何か違う気がする。自分の立場では昇進・出世には限界が見えているし、管理職はどうしてもやりたい仕事というわけでもない。休みは取れるしボーナスは出る。幸せだけれど、これでいいのかなぁと。

そんなふうにモヤモヤしていた時に、東日本大震災が起きたんです。会社に来ても通常業務ができない状態だし、現地では助けを求めている人もいるのに、なんでこんな時にまで会社に行かなければならないのだろうと率直に思いました。もっと自由に働きたい、と。それがきっかけで転職を考え始め、2012年6月からモンスター・ラボというベンチャーで働き始めました。

 

転職活動はベンチャーに絞って活動していたのですか?

小西:ベンチャーに限定して探したわけではありませんが、自分が関わったものを世に出せないというフラストレーションを抱えていたので、転職するなら自社サービスを展開している会社がいいと考えていました。

実は震災の前年からAppleのスマホアプリを作る集まりに参加してアプリを作れるようになっていたのですが、モンスター・ラボはアプリ制作も手掛けていましたし、在宅勤務が可能で働き方の自由度も高かった。

やりたいことができる上に働き方の幅も広がるということで、すぐに転職を決めました。

 

「いってらっしゃい、また明日」で独立を決意

 

モンスター・ラボではどのような仕事を担当されていたのですか?

小西:プロジェクトマネージャーとして、クライアントとの仕様検討や画面設計に携わっていました。プログラミングだけはエンジニアにお願いしていましたが、それ以外はすべて自分の仕事という感じでしたね。

ただ、在宅勤務ができるなど働き方を柔軟に選べる一方、拘束時間は長かったんです。立ち上げから5年ほどのベンチャーだったので仕方がないのですが、確かに家でも仕事ができるものの一日中ずっと仕事をしているという状態で、妻からは「異常な働き方」と言われてしまいました。

そんな生活を1年ほど続けたある日、当時4歳だった息子が朝、出かける時に何気なく「いってらっしゃい、また明日ね」と言ったんです。4歳の子にこんなことを言わせてしまった「これはまずい」と思いました。

僕自身にとっても、楽しい仕事である反面、睡眠もろくに取れないような生活はキツイという気持ちもあり、1年半ほどで退職しました。1か月くらい休んでから、個人でWEB制作の仕事を始めようと思っていたんです。

 

そのような流れで独立に至ったのですね。独立したことでそれまでの働き方は変えられたのでしょうか?

小西:独立前から関わりのあった出版社からスマホサイトリニューアルの案件を委託していただいたので、実際にはのんびりする間もなく働くことになりました。出版社の仕事をしながら、個人でWEB制作やアプリ制作も受けるという感じでしたね。

それまでは在宅勤務の日も朝から晩まで仕事で、出社する日も終電で帰れればラッキーという状況でしたが、独立してからは朝の業務開始が遅くなったので、息子と過ごす時間も朝だけは確保できるようになりました。夜の帰宅は息子が寝た後になるものの、朝保育園に送っていく時間は作れる。キヤノンにいたころに比べると長時間労働でしたが、僕としては、それ以前に比べればだいぶマシになったと思っていました。

ですが、結局、妻に負担をかけていることには変わらなかったので、2年ほどで出版社の仕事は辞め、発注サイトに登録して仕事を探したり、自分でサービスを作ってみたりという活動を始めました。ですから、個人的にはそのタイミングが本当の「独立」だったと思っています。

 

お子さんからのひと言で独立を果たされたのですね。その後はどのようなお仕事をされたのですか?

小西:しばらくは「アイミツ」というB to Bの発注サイトを経由して、WEB制作やアプリ制作の仕事を受けていました。キヤノンの時からずっと、ビジネスモデルを考えてプロトタイプを作る仕事ばかりしてきたので、それ以上の作りこみやエラー処理などで精度を上げていくフェーズはあまり得意ではない、という自覚があったので、仕様書までを作れるという自分の強みを活かし、その後の細かい部分は外注するという方法をとっていました。

2016年にエアトリという格安航空券比較サイトを運営するエボラブルアジアから案件を受けたのですが、そこで初めて、それまでやってきた仕様策定ではなくコンサルティングに近い仕事を経験させていただきました。「こうしたいけれど、どう思う?」と意見を聞かれる立場の仕事をするのは初めてだったのですが、「この仕事が一番自分に合っているな」と。

それまで自分では気づいていなかったのですが、キヤノン時代や出版社と仕事をしていた頃の経験で得た、いわゆる大企業の仕組みというのは、当時のエボラブルアジアのような急成長中の企業にとっては貴重な情報なんですよね。もちろん、そのまま伝えるわけではありませんが、その情報を基にして「このクライアントの場合はどうするのが最適なのか」を考えてアドバイスをする。時間的に働きすぎることもなく、家族との時間も取ることができ、1年ほど常駐した後には遠隔で対応し、充実していましたね。

 

独立とは「誰と組むか」を自分で選ぶこと

 

新卒で就職した頃から「稼ぐための仕事」以外にもやりたいことがたくさんあったとおっしゃっていましたが、独立後はそういった活動にも時間を割くことができるようになりましたか?

小西:そうですね、社会問題に関心を持って小池百合子さんの政治塾に通ったり・・・本当に仕事とは無関係なのですが(笑)

出版社の仕事を辞めた後は、自社サービスの開発にも挑戦しました。今は運営していませんが、カタログギフト作成サイトを立ち上げてみたり、バーチャルCTOのようなサービスを提供できるIT顧問サービスを立ち上げてみたり・・・。その一方で、エージェントを通して受ける仕事や人の紹介で受ける仕事はコンサルティングにシフトしていくよう意識しました。

出版社のプロジェクトに参画していた時、データサイエンティストやコピーライターなど、専門的な仕事をしている人たちに出会う機会が多かったのですが、その方々を見ていて、独立した個人として働くことの素晴らしさを強く感じたんです。

独立後は常に不安がつきまとうものですが、将来的にはもっと仕事の幅を広げ、たくさんの人と仕事をしていきたいと思っています。

 

では最後に、独立を考えている方々へメッセージをお願いします。

小西:僕自身が独立後に痛感したのは、「正社員として働くことは、金銭的な安定と引き換えに自分の人生や時間を会社に捧げるという契約だったのだな」ということでした。つまり逆に言えば、個人で独立して働くと、金銭的な不安はあるものの自分の人生は自由になるどちらを選ぶかは人によると思いますが、独立を考えている方々にそのことだけはお伝えしたいなと思っています。

「独立」という言葉は「独りで立つ」と書きますが、一人でできることは限られているので、実際には「独立」イコール「就職先以外にパートナーを見つける」ということなのかなと。それまでのパートナーだった会社と別れ、新たなパートナーと組む、という感じでしょうか。誰と組むかを選べるようになるというのが独立の醍醐味だと思います。

僕の場合も、仕事を発注してくださるクライアントやそれを仲介してくれるみらいワークスなどのエージェントに支えられていますし、何よりも妻がとてもしっかりしている女性だからこそ挑戦できたと思うので。今の奥さんじゃなかったら絶対に無理だったと思いますね(笑)

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

不安は常にあるとおっしゃる一方で、仕事だけに時間を費やすのではなく、仕事以外の興味関心も大切にしているという小西さん。ご自身にとって大事なものを見失うことなく、人生を豊かに生きていらっしゃる様子が伝わってくるインタビューでした。また、エピソードの端々に奥様とお子さんへの愛情が溢れていて、聞いている私たちも心が温かくなりました。

お話の中で特に印象的だったのは、「独立とは、会社に代わるパートナーを選ぶこと」という小西さんのひと言でした。組織を離れ、個人で挑戦しようと志すビジネスパーソンのためのパートナー。それはまさに、我々みらいワークスが目指す姿に通ずるものがあり、これからもプロフェッショナル人材が挑戦できる舞台を提供し続けられるプラットフォームであり続けたいと強く感じました。