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「誰もが個性や才能を活かして自分らしく生きられる世の中へ」 若くして起業後、挑戦と内省を積み重ねて築いたオンリーワンのキャリアとは

自分に与えられた“生”を、悔いなく走り切りたい。突然の独立を決意した若者の心を駆り立てたのは、大切な家族との別れでした。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは笠松拓也さん。
大学在学中に起業した後、教材販売の会社で支社長を経験。その後、株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)での法人向け中途採用コンサルティングを経て、株式会社ビズリーチにて人事を担当、2016年に独立して現在に至ります。
学生時代の会社経営や営業組織の長としてマネジメントに取り組む中で「個々人の性質に合わせた対人コミュニケーションの重要性」を痛感したという笠松さん。どのようなキャリアを経て、何がきっかけで独立に至ったのでしょうか。

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

コンサルタント・プロフェッショナル画像
笠松 拓也(かさまつ たくや)
1989年生 / 神奈川県横浜市在住

株式会社Famille 代表取締役 社長
エグゼクティブコーチ/ヒプノセラピスト(催眠療法士)
「社外CHRO(最高人事責任者)」をコンセプトに「採用・育成・制度設計・ビジネスコーチング」を行なう。東証一部上場から創業間もないスタートアップまでのべ50社以上の人財組織開発の支援実績有り。また、ライフワークとしてビジネスパーソンに特化したプロのエグゼクティブコーチ・催眠療法士としても活躍中。

 

◆Twitter:https://twitter.com/takuyakasamatsu

大学在学中に興した事業をクローズ後、20代前半で60名規模の組織を管掌

大学在学中に興した事業をクローズ後、20代前半で60名規模の組織を管掌

 

独立して5期目を迎えられた笠松さんですが、現在の働き方はいつから志していたのですか?

笠松さん(以下、敬称略):起業したいという想いは学生時代からありました。自分で言うのもなんですが、大学までは地元名古屋におけるいわゆるエリートのような道を歩んでいたのですが、それが非常に窮屈だったこともあり「目の前に敷かれた見えないレールからとにかく外れたい」という気持ちを持っていました。若かったので「人と違うことをやりたい」、「有名になりたい」という願望がありましたね。

 

そんな気持ちから、大学3年の時に友人と会社を立ち上げました。ちょうどインスタグラムが出てきた2010年、日本でも同様のSNSが多数生まれたタイミングです。僕たちの会社も写真共有のSNSとWEBの受託制作が主な事業として運営していました。

上場を目指していたので、時間をかけながらも自己資金で開発を進め、サービスをローンチしてダウンロード数も数万くらいまで達したのですが、東京に通ってベンチャーキャピタルを回っても、当時はまだまだ資金調達は厳しい状況。そもそもビジネスモデルもきちんと作れていなかったので、最終的には「このまま続けていても先々難しいだろう」という結論に至り、立ち上げから1.5年ほどでクローズしました。

 

大学生とは思えない素晴らしい行動力ですね。資金はアルバイトでまかなっていたのですか?

笠松:初めの1年間はそうですね。もともとやっていた完全歩合制の教材販売のアルバイトに加えて、インセンティブが高い光回線の営業など、さまざまなアルバイトをしていました。後半は会社の事業だったWEBの受託制作で得た資金で運営を回していましたね。

 

事業をクローズされたあと、就職活動はその後されたのですか?

笠松:大学は起業した時点で休学していました。結局卒業はせずに、会社売却後はアルバイトでやっていた教材の訪問販売の仕事に戻りました。「ある程度の粗利を稼ぐ力がなければ、やりたいことも続けられない」と会社経営を通して痛感したので、社会人としてまずはその部分を追求していこうと。

もともと人材教育や人材開発にも興味があったこともあり、実際にお子さんがいらっしゃるご家庭に伺って営業するという仕事はやりがいも面白味もありました。その頃は明確に意識していたわけではありませんでしたが、「人の個性を活かしてどう才能を開花させていくか」、「メンバーの個性を活かした組織はどうすれば作れるか」といったテーマに当時から漠然と関心があり、その分野をもっと極めていきたいという想いは今の仕事にもつながっていますね。

 

なるほど。その後、その会社で東海支社の支社長を任されたそうですが、若くしてそのポジションに就いた背景にはどのような経緯があったのですか?

笠松:業務委託契約を結んで完全歩合制の営業をしていたのですが、1年半くらい続けるうちに結果が出るようになり、ありがたいことにオーナーから目をかけていただけるようになりました。その流れで、ある時「東海4県の販売代理店を管轄する役割をやってみないか」と打診していただいたんです。

最終的にはアルバイトや業務委託のメンバーを含めて50~60名くらいの組織になりましたが、家庭教師と教材の販売、販売後の顧客管理を行なう部門の管掌および事務所運営を2年ほど経験させていただきました。

 

60名の組織のマネジメントは経験者でも一筋縄ではいきませんよね。大変なご苦労があったのではないですか?

笠松:まだ23歳で社員は皆さん年上でしたし、ほぼゼロからの立ち上げでしたから非常に大変でした。今になって振り返ると、理想的な組織運営には程遠い状態でしたね。

まずは自分が営業で結果を出し、そのノウハウを基にマニュアルを作って教育していたのですが、「個人の性質」に合わせて教えることはできていませんでした。「自分がこれだけ細かく明文化してマニュアルに落としているのだから、この通りにやればできるはずだ」という考えだけで、個々人の性格や個性に気を配るところまでは至らなかった。マネジメントの経験もない中で自分なりに必死ではありましたが、今思えば一番やってはいけない、軍隊のようなスタイルでしたね(笑)。

やはり対人コミュニケーションは「その人らしさ」を引き出しながらでないと長くは続かないのだということを、この時の経験を通して強く感じました。

 

会社員として社内外から人材開発や採用に携わり、あるきっかけで独立を決意

会社員として社内外から人材開発や採用に携わり、あるきっかけで独立を決意

 

20代前半で、新卒入社した同年代の人たちとは比べ物にならないような経験をされましたね。そこから次のステップに進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

笠松:業界再編でオーナーの資本ごと他の資本に吸収されたことがきっかけですね。大阪支社でまた支社長として続ける道もあったのですが、大阪に行ってまで同じ仕事を続けたいとは思えませんでした。教材を買ってもらった後の段階、つまりは子供の成績を伸ばしたり、それによって自信に結び付けたり、といったところまではリーチできないビジネスだったことも、「人を活かす」ことに興味があった自分としては物足りなかったので、新たな道に進むことを決意しました。

 

自分自身が探求したいのは「どうすれば人を活かし、かつ人が活かしあっていく組織を作れるか」というテーマだったので、まずは人材業界に的を絞りました。かつ、その時点でまだ一度もいわゆる“普通の就職”をしたことがなく、大きな組織で働いたこともなかったので、業界の中でも大手と呼ばれるところで経験を積んでみようと思い、転職活動を始めました。

最終的に大手人材系企業数社から内定をいただき、その中でも企業側の採用コンサルティングと個人側の転職コンサルティングの両方のキャリアがひらかれていたインテリジェンスに入社し、人材紹介業に携わることになりました。

 

初めて大きな企業で働いてみた感想はいかがでしたか?

笠松:それまではずっと財務諸表を見つつ、キャッシュを気にしながら働いていたので、言葉は悪いですが、「自分、チーム、部門くらいの業績にフォーカスすればいい」というのはすごく楽だなとは思いました。

と同時に、こんなにもたくさんの人が集まって事業を行なっているということに、率直に言って圧倒されました。この規模の事業や組織が設計されてきた年月を考えると、自分には想像できない領域だな、と。そういう大きな会社を作って経営してきた方々の凄みも感じましたね。

そして、やはり自分は組織を大きくしていくことよりも、個で独立友軍として動くことの方が好きだということも改めて認識できました。仕事の内容としては、大企業のサポートよりも成長中のベンチャーのサポートの方がやりがいを感じる場面が多く、その点でも自分はベンチャー気質なのだなと感じましたね。

 

インテリジェンスに入社した1年後に再び転職していらっしゃいますが、そのタイミングで次のキャリアを目指した理由は何だったのですか?

笠松:採用支援もどこまでも探求できる分野だと感じてはいたのですが、インテリジェンスにいる限り、自分が介在できるのはマッチングする段階までなのですよね。実際に入社していきいきと活躍していく段階をサポートすることはできない。いつかはそこに対しても自分が関われたらいいなという想いが大きくなる中で、たまたまビズリーチの役員の方から声をかけていただいたのが、転職のきっかけでした。

今や従業員数1,500名に迫る勢いのビズリーチですが、当時は100名強の規模で、人事機能をしっかり作っていこうというタイミング。そんな急拡大するフェーズに人事として参画するチャンスもなかなかありませんし、間違いなく伸びるであろう事業で勝負しているという点も魅力的で、入社後は土日も関係なくずっと働いていました。月に20~30名ずつ入社してくるような状態で、凄まじかったですね。

 

中途入社者が月に30名というのは桁外れですね!壮絶だったのだろうと想像しますが、素晴らしい経験になったのではないですか?

笠松:非常に勉強になりました。教えてくれる人もいないので試行錯誤の日々でしたが、採用戦略の作り方から経営陣や現場とのコミュニケーションの取り方まで、人事の基本はすべてビズリーチで学びました。

中途採用に関してはインテリジェンスでも外部から支援はしていたものの、実際に内部で見たことはなかったので知らないことも多く、より解像度が上がりましたね。

 

エージェントとして外から採用支援することと社内で人事実務を担当するという両方を経験した上で、どちらがご自身に合っていると感じましたか?

笠松:両方、やりがいがたくさんありましたが、どちらかと言えばエージェント的な立ち位置の方が自分には合っていたと思います。もともとゼロからイチの秩序を作るようなフェーズが好きで、戦略や仕組みを作って「あとはみんなで頑張ろう」という状態に持っていくのを楽しいと感じる性質なので、現場の人事担当として細かく手を動かすのは、楽しいというのとはちょっと違ったかもしれません。好みで言えば全体を俯瞰できる役割の方がいいな、とは感じました。

 

なるほど、まさに個性を活かした働き方ですよね。その後、ビズリーチを退職して独立されたわけですが、人事の基本も身に付き、ある程度「やり切った」と感じたタイミングだったのでしょうか?

笠松:独立のきっかけは祖母が亡くなったことでした。幼い頃はおばあちゃん子でしたし、急だったこともありショックが大きかったですね。

会社を辞めようと思ったのはお通夜の時でした。斎場でたまたま一人になった時、「祖母が幸せな走馬灯を見ているといいな」という想いから、ふと「自分が今死んだらどんな走馬灯を見るのだろう」と考えてみると、何も思い浮かばなかった。そのことに、静かに絶望したというか、打ちひしがれたんです。ここまでいろいろ頑張ってはきたはずなのに、死ぬ間際に何も思い出せない人生なのかと。

 

そこからは、「現状を根底から変えていかなければ」という思いにかられ、すぐに会社へ退職の意思を伝えました。論理的な決断ではありませんでしたが、とにかく今この環境を変えなければという一心でした。

辞めてからどうするかを考えたのは、退職を決めた後です。個人の才能を活かすこと、可能性を最大化すること、誰もが自分らしく生きられるようにすること。それを仕事にしたいという想いだけは強くあったので、それまで会社員という働き方を選ぶことによって無意識のうちに避けていたリスクに向き合い、名の知れた企業に所属することで掛けていた収入面や世間体への“保険”を捨てる覚悟をして、準備不足は承知の上で独立という道を選びました。

 

世の中に希望を見せることができる人の一番の“応援者”でありたい

世の中に希望を見せることができる人の一番の“応援者”でありたい

 

独立を決めた後、現在の事業内容に至るまではどのような道のりでしたか?

笠松:大学時代から趣味でコーチングを勉強していたので、まずはそれを改めて学び直し、ビジネスとして成り立たせるために3か月ほどスクールに通いました。そこで最低限の勉強をした後、SNSやブログ、メルマガを使ってコーチングビジネスを始めました。しかし、当然すぐにはマネタイズできないので、複数の会社と業務委託契約を結んで採用のお手伝いも同時並行。ですので、当初は「法人向けの採用・人材組織開発」「個人向けのコーチング」という二つの軸で事業を展開していました。

個人向けのコーチングは、やはり僕自身とバックグラウンドが似ている方からの依頼が多く、ビジネスパーソンとして第一線で活躍している方や個人事業主の方、中小企業の上層部でマネジメントをしている方などが徐々にお客様として定着するようになりました。

 

すると、初めは個人の人生についてのコーチングだったのが、次第に「その方が属している組織」についてのご相談もいただくように。考えてみれば、仕事が人生において大きな割合を占める以上、働く環境の改善が個人の人生を推進していくことにつながるというのは疑いようのないことですよね。

そんな流れで、対個人のコーチングのお客様から法人での管理職層へのコーチングの依頼もいただくようになり、2018年からは当初の二つの軸を一つにまとめ、現在はすべて法人向けのサービスにパッケージされた状態で提供しています。個人を活かし、かつその個人が活かされるフィールドにも関わることができるので、自分としてもより理想に近い仕事ができるようになってきていると感じています。

 

以前からの想いを実現されたのですね。素晴らしいです。現在、働き方としてはどのようなスタイルなのですか?

笠松:お客様によって関わり方はさまざまです。月1回訪問するところもあれば、隔週、週1回のところもあります。リモートでも休日でも可能な限り対応しています。

今までは紹介でしか仕事を受けていなかったのですが、昨年の夏に複数の案件がいったん終了し、少し余裕が生まれたので、普段自分が手を伸ばさないところからの仕事も経験してみたいと思ってみらいワークスに登録しました。自分の代わりに営業をしてくださる会社なので、登録時に情報をすべてお伝えし、ご縁があれば案件をお受けするというスタイルでやっています。

 

いつもありがとうございます!これからも引き続きよろしくお願いいたします。では最後に、今後の展望や将来像がありましたら教えてください。

笠松:当面は現在の事業をより深めていきたいですが、将来的には、リーダーや起業家、アーティストなど、「世の中に希望を見せることができる人の一番の応援者でありたい」と思っています。リーダーが心挫けそうな時、あるいは誰にも相談できない悩みを抱えている時、その胸の内を吐露できるような、それに相当する信頼を置いていただけるような人間でありたい。

「何をやるか」にはそんなに強いこだわりはなく、とにかく自分が素晴らしいと感じるリーダーが描いているビジョンを応援したり、世の中に希望や夢を伝えられるような人のサポートをしていきたいですね。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

社団法人も設立し、コーチングができる人材の育成や才能のアセスメントを行なうためのフレームワーク作りにも取り組んでいらっしゃるという笠松さん。ずっと抱き続けてきた「個人の才能を活かし、可能性を最大化させることを仕事にしたい」という想いを、着実に実現し始めています。

 

高いハードルに敢えてチャレンジし、その度に得られる気づきを大切にする。深く内省して道を切り拓いてきた笠松さんのお話に勇気づけられた方も多かったのではないでしょうか。仕事において自身の状況、周囲の状況を常に冷静かつ論理的に思考してきた笠松さんが、独立だけは直感に従って決断したというエピソードも、非常に印象的でした。

 

みらいワークスが目指す「プロフェッショナル人材がライフステージに応じて、独立・起業・転職を自由に選択して働ける社会」、そして笠松さんが目指す「誰もが自分らしく生きられるような社会」が、確実に近づいてきていると実感できるインタビューとなりました。私たちはこれからも、新たな生き方に挑戦するビジネスパーソンを応援していきます。

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