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「進化を遂げる為の力になる“涙”を沢山の人に流してほしい」 ゲームで人生を変えられた起業家が“チャンバラ合戦”で世界に挑む

人生を変えるほどの熱い涙を、あなたは流したことがありますか?

「コンサルタントのワークスタイル」、今回のインタビューは米田真介さん。
Webコンサル会社の代表を務める傍ら、「チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R)」を展開するNPO法人ゼロワンの理事長としても活動していらっしゃいます。
そもそも「チャンバラ合戦」とは何なのか?『ファイナルファンタジーⅩ』によって人生が180度変わったという米田さんのこれまでの軌跡とは?笑いあり涙ありの米田さんのお話にアナタも心を揺さぶられること間違いなしです!

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

コンサルタント・プロフェッショナル画像
米田 真介(よねだ しんすけ)
1984年生 / 大阪府在住

コンピュータ専門学校を卒業後、広告制作会社に2年半勤務。“FinalFantasy X”というゲームにより人生観が変わり、高校時代からの夢であった旅を決行するために退社。半年間ヒッチハイクで47都道府県を駆け巡った後にWeb&デザイン会社(TearsSwitch LLP)を起業。「WEB事業の拡大」と『チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R)』の発展を目的に、株式会社TearsSwitchを立ち上げ、代表取締役 CTOに就任。『チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R)』を展開するNPO法人ゼロワンの理事長を兼務。プログラム、デザイン、カメラ、地域活性化、コンサル、開発など新しいことに次々とチャレンジしている。

株式会社TearsSwitch :http://tears-switch.com/

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チャンバラ合戦 -戦 IKUSA(R)-:http://tyanbara.org/

「大阪を世界都市にしたい」との想いから生まれた“チャンバラ合戦”

「大阪を世界都市にしたい」との想いから生まれた“チャンバラ合戦”

-Webコンサル会社の代表であると同時に「チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R)」を展開するNPO法人ゼロワンの理事長でもいらっしゃる米田さんですが、このチャンバラ合戦はいつ頃から始められたのですか?

米田さん(以下、敬称略):始めたのは5年前くらいですね。当時の大阪は維新の会もまだ立ち上がる前で閉塞感があったのですが、ある時仲間内で「大阪を世界に名だたる都市にしたい」という話で盛り上がったのをきっかけに、本気で考え始めました。

世界中からヒト・モノ・カネを集めるためには、全世界に知られているものを活用する必要がある。その単語を聞いたら一瞬で対象を思い浮かべることができるくらいメジャーなものを使わないと、新しい事業やサービスは定着しない。そう考えて、まずは文化に着目し、最終的に「サムライ」、「武士道」にたどり着きました。当時、日本の新しい文化としてコスプレも認知され始めていたので、そこに大阪ならではの笑いの文化も加えて、「コスプレをしてチャンバラで遊ぶ」という非常に単純なコンテンツで世界に発信していこうと(笑)。

-とても面白いです(笑)。数ある日本文化の中でも「サムライ」、「武士道」を選んだのには、何か理由があったのですか?

米田:それに関しては二つ理由がありまして、一つ目は、日本中をヒッチハイクしながら回った旅の中で歴史の楽しさを知ったことですね。初めのうちは歴史的な観光地に行っても正直面白くなかったのですが、それでも続けていたら、ある時から急に点と点が線で結ばれて、学生時代に学んだ歴史ともつながって、すごく面白くなったのです。

もう一つの理由は、その旅の途中でたくさんのシャッター街を見たことです。例えば青森などの名の知れた地方都市でも、実際に行くとさびれていたり、繁華街から少し離れると人も住んでいないような雰囲気だったりする。そういう光景を目の当たりにして、「日本をなんとかしたい」、「歴史を活用して地方を元気にするようなことはできないか」と思うようになりました。

自分の中では最初から「チャンバラなら海外展開もできるし、企業のコンテンツや地域の歴史系イベントとのコラボレーションもできる、お城でやっても面白そう」と、いろいろなビジネスチャンスが想像できていたのですが、果たして本当に面白いのかというのが不安でした。でも、実際にやってみたらビックリするくらい面白かった(笑)。“命”と呼ばれる直径8㎝くらいのボールを腕にマジックテープで付けて、それをスポンジ製の刀で叩き落とすだけなのですが、大の大人が息を切らして笑い合うのです。今では東京と大阪で約20名ずつが参加するNPO法人を設立し、NPOで対応できなかったり、速度感やクオリティを上げる部分は自身の株式会社もつかって両輪で運営しています。

-企業や地域とのコラボレーションも増えてきていると伺いましたが、どのような企画があるのでしょうか?

米田:例えばNHKさんとは大阪城で大河ドラマ『真田丸』とのコラボイベントを行いましたし、他にも大手電機メーカーP社さんで1,100人の合戦をしたり、大手自動車メーカーH社さんで西武プリンスドームを使って2,400人のイベントを開催したりしました。P社さんは合併後のタイミングだったということもあって、企業文化の違いから関係性がギクシャクしていた社内の風通しをよくするという効果がありましたし、一般の企業さんからもチームビルディングや社員間の親睦などに効果的だということでご依頼いただいています。

小さい子供から大人まで一緒に遊べるので、地域活性化の一環としてご依頼いただくこともありますし、パーティーや研修、インバウンド関連のイベントなどに利用したいというお声をいただくことも多いですね。

 

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< チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R) >

腕に“命”というボールを装着して戦います。スポンジ製の刀で“命”をたたき落せたら勝ちという日本一平和な合戦。黄色いゴムボールをマジックテープで装着するのですが、IOT化により更なる進化を遂げるそう。負けると腕の装置の光の色が変わったり、アプリとの連動など、ますます楽しみ方の可能性が広がります。

 

人生を変えた『ファイナルファンタジーⅩ』

人生を変えた『ファイナルファンタジーⅩ』

-チャンバラが本業・・・というわけではないですよね?(笑)

米田:まぁ、もはやこれが本業ですね(笑)。会社としては、「Webコンサルティング」「コンテンツマーケティング」「チャンバラ合戦」という三つの事業を持っていて、もともとの本業であるWebコンサルティングでも十分食べていけるのですが、最近ではチャンバラの売上もそれと同じくらいの規模になってきました。

初めは共同代表をやっている人間からも「本業がおろそかになる」と反対されたのですが、「それでもやる!」と言い張ったら、結果的にはむしろ彼の方がチャンバラを育ててくれました(笑)。運営にはNPO法人のメンバーも関わっているのですが、彼らも社会人で平日は対応できないので、土日のイベントに参加してもらう以外の営業や各種対応は主に会社側で受けています。

-なるほど、そんな経緯があったのですね。ちなみに、起業されたのは先程おっしゃっていたヒッチハイクの旅の後でしょうか?

米田:はい。最初に勤めた会社に入る時点でその旅は決行するつもりだったので、そこの社長にも「日本一周する予定ですので、3年で辞めさせてください」と伝えた上で採用していただきました。実際には、準備などのために半年前倒して2年半で辞めさせてもらったのですが。働き方に関しても、学生時代から「会社に属さずに働きたい」という考えは持っていました。

-会社に所属せずに働きたいと思うようになったのは、何か理由があるのでしょうか。

米田:理由は大きく二つあります。一つは、会社組織に属すると、その組織のビジョンや社長の想いに沿って働かなければならないので、そのビジョンが自分の考えと違う場合、生きているうちに自分自身の夢を達成するところまで行きつかない恐れがあるなと思ったためです。もともと上から言われて何かをするというのがすごく嫌いでした、社会不適合と言いますか…(笑)。

もう一つは、たとえ大企業に属していても、会社が倒産したり、リストラに遭う可能性があることを考えると、組織に属していること自体がリスクなのではないかと思いました。どんなに長く勤めても、辞めてしまえばノウハウも資産も会社にしか残らないのなら、市場価値を高めて個人で勝負に出た方が人生のリスクは低くなるのではないか、起業しない方がむしろリスクが高いのではないかと考えました。

-なるほど。その達成したいご自身の夢というのは学生時代から持っていらっしゃったのですか?

米田:ええ、高校2年生の時からありました。幼い頃、僕は家でも学校でも人の顔色ばかり見て「他人はこうすれば喜ぶ」ということをわかっているような、いわゆる「斜に構えた子供」でしたね。それが高じて「こんなふうに取り繕うだけの人生なんて無意味だ」、「このまま80歳まで生きるなら死んだ方がマシだ」とまで思うこともあったくらいでした。

そんなことばかり考えていた高校2年の秋に、『ファイナルファンタジーⅩ』という有名なゲームと出会いました。そのゲームの主人公は当時の僕と同じ17歳で、ヒロインや世界を救うために死ぬ覚悟をしているのですが、それを見て「死ぬ覚悟は自分もしているけれど、僕の場合は自分が楽になるための覚悟だ」ということに気づき、「同じ歳の人がこんなかっこいい生き方をしているのに自分は何なのだ!」、「僕もこの人みたいになりたい!」と・・・もちろんゲームなので架空の世界なのですが(笑)、それでもとても心を動かされて、ゲームをしながらボロボロ泣いてしまったのです。

それをきっかけに人生が180度変わり、「自分もあのゲームの主人公のように人を救えるような人間になりたい」と思うようになりました。そして、それまでとは違う視点で周りを見ていく中で、「涙には、喜怒哀楽どの感情の時でも人を癒す力がある」、「涙は下にこぼれるものだけれど、前に進むための力になる」ということに気づき、「人にそういう涙を流させるようなことをしよう」と思ったのが僕の夢のファーストステップです。その想いが、現在の会社名である「株式会社TearsSwitch」にもつながっています。

ヒッチハイクの旅での経験を活かした地方創生

ヒッチハイクの旅での経験を活かした地方創生

-チャンバラを使わない地方創生や、地域活性化のためのコンサルティングも手掛けていらっしゃるのですよね。

米田:「茨木ほくちの会」という、大阪の茨木市の中でも北部地域の方々が行っている地域活性化プロジェクトがあるのですが、国からの助成金を受けての地方創生を1年目だけサポートさせていただきました。ロゴを作ったり、ワークショップの開催や各種組織を構築したり、ビジョンを掲げてそれをブレイクダウンしていったりというお手伝いですね。茨木市は南部が都市で北部が田舎というように明確に分断されているような地形なのですが、北部地域の人たちは、農業をしながら、同時に都市部の人たちと同じところに勤めてもいるというハイブリッドな生き方をしています。自然豊かなところでありながら、大阪市内まで車で20~30分の場所なので、これからのインフラが整った世の中では、むしろこういうところで生きる方がメリットも大きいのではないかと。ただ、地方創生に乗り出す地域に共通する課題ですが、やはり少子高齢化や若者の流出、休耕地の増加という状況はあったので、既にそこで暮らしている若い方々の力や、高齢者の方の経験、時間、人脈を使ってそれらの課題に取り組んで活性化していこうという取り組みでした。

-1年目だけをサポートということは、それ以降は自走してもらうということになったのですか?

米田:おっしゃる通りです。会を主導されている方が「最終的には自分たちで自走することが大事だ」というしっかりとした考え方をお持ちでした。その方は、ブレインワークができて、かつ現地のローカルルールとのバランスも取れる方です。そういう人がいるからこそ成り立っている部分も大きいと思います。

初めのうち何度も言われたのは、「難しい言葉は絶対に使わないでください」ということでした。実際に高齢の方がほとんどで、しかも初めの頃は、みんなにものすごくチクチク見られているような感じがあり(笑)、「これは好かれないといけない。そのためにはまず理解されるような話し方をしなくはならない」と思いました。

-「郷に入っては郷に従え」を実践しないと地方創生はできないという話はよく聞きますが、米田さんの場合もそうだったのですね。そのような状態から、どうやってそのコミュニティに深く入り込んだのですか?

米田:まず自己紹介の時に気を付けたのは、仕事の話よりも自分のパーソナリティの話をすることと、わかりやすい言葉で話すことの2点でした。内容としては、関西で有名なテレビ番組に出たことやヒッチハイクの旅のこと、それから仕事に関してはコンサルとは言わず(笑)、Webサイトを作る仕事やチャンバラをやっていますと。「ヒッチハイクでは半年間で218台乗って、家に泊めてもらったこともあります。日本はそんなことができる奇跡的な国です。だから僕は、田舎なんて言っては失礼ですが、田舎の人たちのことが大好きです」と。「どこかの頭でっかちのコンサルが来た」と言われないよう、旅で田舎に触れたことを大事にして話しました。その後も、立ち居振る舞いに気を付けたり、馬車馬のように働いたり。そういう基本的なことを大切にしましたね。そうしないと、やはり認めてはもらえませんから。

そうやって入り込んで、初めのうちは議論を都度修正したり会話の取りまとめを繰り返して、あとはメンバーの方々のやる気を引き出したり、活性化につながるビジネスのスキームや手法を一緒に考えたりといった活動がメインでした。1年目は、皆さんが一致団結して同じ方向を向けるかどうかが大切です、というお話をし続けて。たまたまご依頼をいただき「自分たちの持っているものでお手伝いできるのであれば」ということでお受けした仕事でしたが、日本全体の課題である地方創生・地域活性化に向き合うことができたのは大きな財産になりましたね。

 

 

-そんな米田さんの、今後の展望を教えてください。

米田:まずは40歳までに、リアルとバーチャルを融合した形で、遊びを通して仲間を作り、それがビジネスに転換されて地域社会に還元されるような流れを設計したいなと思っています。

チャンバラ合戦に関しても、実は今、遊びの要素をより拡張しようと開発を進めています。例えばIoTを活用してスマホに戦歴を残したり、チームの戦況がビッグビジョンで見られるようにしたり、それによって戦略を変えながら戦えるような仕組みにしたりすれば、個人としてもチームとしても新しい楽しみ方ができるようになるのではないかと。

-ものすごく面白そうです!(笑)

米田:ゆくゆくはこれを日本のコンテンツとして海外にも展開していきたいと思っています。サムライのチャンバラ文化は日本でしか体験できないので、特に外国の方はすごく喜んでくれます。既に大阪観光局とは話をしているのですが、まずは外国人観光客もたくさん訪れる大阪城でのイベントなどを通して、海外での認知度アップを図りたいと思っています。最終的にはラスベガスで大富豪たちがチャンバラに賭けるといったところまでの展開を想定しています(笑)。

個人的な展望としては、いずれ世界中を冒険して回りたいですね。それこそRPGのように(笑)。もしその時に自分がもっと成長して、大きな人物になっていれば、冒険の途中で出会った土地の課題を解決する社会起業家のような動きをしていけるかもしれない。そうやっていろんな町や村を救いながら転々としていけたら、ものすごく楽しい人生だろうなと思います。

 

-本日は大変面白いお話をありがとうございました!チャンバラ合戦の世界展開、楽しみにしています!

チャンバラ合戦で実際に身に付ける防具や刀、“命”と呼ばれる黄色いボールなども見せてくださいました。手に取り身に着けると、童心がうずき、ついつい「やぁっ」とポーズを決めてしまうなど、笑顔やワクワク感の溢れるインタビューとなりました。子供の頃に遊んだものは、人と人との距離をぐっと近づけることができる、そんな力を持っていますね。チャンバラの未来やIoTを活用した今後の展開、そして世界中をRPGのように冒険して回りたいという夢について熱くまっすぐ語る米田さんの姿に、私たちもすっかり引き込まれるインタビューとなりました。ご興味のある方は、ぜひ「チャンバラ合戦 -戦 IKUSA-(R)」のホームページもチェックしてみてください。

「起業のきっかけなんて十人十色」、「自分のきっかけは自分にしか生まれない」とおっしゃっていた米田さん。自分だけに訪れたきっかけに気づいて新しい一歩を踏み出す、そんな人を一人でも多く支えられる存在でありたいと私達は考えています。

 

◇◆インタビュー時の楽屋話を下記ページにアップしました!◆◇

みらいワークスのバックステージ:ずばーっ!!と。
http://mirai-works.co.jp/backstage/012/

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