アウシュビッツ収容所へ。現場に行かないとわからないことがある

作成日:2017年5月16日(火)
更新日:2017年11月30日(木)

「百聞は一見に如かず」という言葉のとおりなのかもしれませんが、これからも“現場感”と“実体験”という価値観を大切にしていきたい。

GWはカレンダー通りの休暇でしたが、弾丸で東ヨーロッパを旅してきました。いままでの渡航国は66ヵ国・・・と思っていたら、カウントミスなのか、渡航したけれど思い出せない国があるのかわからないのですが、実は渡航国が65ヵ国だったことが発覚したので(笑)、今回、ベラルーシとポーランドで67ヵ国となりました。

 

今回の目的国はポーランドのアウシュビッツだったので、近くの主要国の往復チケットだけを買い、あとは現地のLCCを別で買う予定で行こうかと思い、周辺で訪れた事がない国ということで、ベラルーシのミンクスに訪問することにしました。ベラルーシは、2011年にウクライナのチェルノブイリに行った際に隣だったので行こうと思ったのですが、ビザの手続きが面倒だったのであきらめたことがありました。改めて調べてみると、今年の2月から、5日間までの滞在であればビザが不要に!! ということで、迷うことなくベラルーシへと向かいました。街並は、ロシア系だったところに西側の文化が入り始め、なかなか独特な雰囲気でした。

そして目的地、ポーランドのアウシュビッツへ。2008年にアムステルダムに行った際、アンネの日記の現場となっていた建物兼博物館に訪れ、2010年にはイスラエルのエルサレムに訪問した際ホロコースト博物館を見学したので、アウシュビッツはいつか行きたいと思っていた場所です。今まで教科書で読んだり、インターネットで見たり、“シンドラーのリスト”を観たりと自分なりにこの施設で起きた事について知識はあったつもりでした。しかし行ってみると全く違っていました。

アウシュビッツ収容所

アウシュビッツ収容所は、ユダヤ人を中心に、ポーランド人、ロシア兵を含め100万人以上が犠牲になった場所です。ここに連れられた人達から没収された靴の山や、切りおとされた数トンにもおよぶ大量の女性の髪などを目のあたりにした時に、100万人という“数字”を見ただけでは理解できていなかった生々しい感情を覚えました。

アウシュビッツ収容所

アウシュビッツへは、ヨーロッパ中のゲットーと呼ばれるユダヤ人居住区から電車で人が送り込まれました。ここに到着した人はすぐに選定に掛けられ、健康面で不安のある75%の人はそのままガス室に入れられ、最期を迎えました。残りの人も厳しい労働により亡くなることも多く、ドイツ軍の敗北により、ソビエトから解放されたときに生存していたのはごくわずかだったとのことです。アウシュビッツに送り込まれる電車も現存していましたが、この狭さに80人もの人が何日も飲まず食わずで移動させられていたのかと思うと、とても複雑な感情を覚えました。

アウシュビッツ収容所

感情は不思議なもので、どこでどのように感じるのかはわかりません。今は、インターネットなどでいくらでも情報や知識を得ることは出来ますが、自分がどのように“感じる”のかという点については、現地に行かなければわからないことがあるのではないでしょうか。

私はこの“感情”をとても大切にしています。ビジネスにおいて、プランを立てて、どのようにすればマネタイズが出来る、損益分岐を超えることが出来る、KPIはどうなる、競争優位性はなんだ、そういったことは考えればわかる事です。しかし、そのビジネスを本当に“やりたい”のか、志をもって取り組めるのかという点については、実際にやってみないとわかりません。そしてビジネスには大変な時期があるものですから、気持ちが入っていなければ、その時期を乗り越えられない事もあるでしょう。

だからこそ私は、実際にやってみる、現場に自ら入り込んでみる、そういった行動を通じて、自分にどんな感情が芽生えるのかを大切にしています。それは、自らの“思い入れ”がなければ、そのビジネスを進めることが出来ないからです。もちろん自分のやり方が絶対的に正しいとは思っていませんし、経営者にもさまざまなタイプの方がいらっしゃるので、自分とは異なった信念のもとビジネスを行なう方々に対しては、素直にすごいなと思ってしまいます。「日本を元気に!!」という想いや感情が芽生え起業するに至ったのも、47都道府県に実際に足を運んだからこそですし、そもそも20代の頃には起業するつもりはなかったので、人生、どんな方向に進むことになるのかはわからないものだなと改めて感じました。

アウシュビッツ収容所

今、みらいワークスは「プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステムを創造する」というビジョンのもと、日々活動しています。これは、私自身が10年ほど前に独立し、個人コンサルタント/フリーランサーとして活動を始めた際に仕事がなかなか獲得できず、「自分はこんなものなのか」と落胆したことがきっかけで考えついたビジョンでした。落胆したと同時に、自分と同じように起業して苦労している人たちが多いと感じ、個人で戦おうとするプロフェッショナル人材の為の社会インフラを構築することで、日本が元気になるのではないか?と思ったのです。

自分自身が、独立し艱難辛苦を乗り越え、その実体験により出てきた「やるべき」という感情、そこから生まれたビジョンなので、正直なところ“ビジネス性”については二の次でした。コンサルタントとしていくつもの新規事業系のプロジェクトに携わってきて、その中で、市場規模や競合状況、自社の強みをどう生かすべきか、ポジショニングはこう、マネタイズはどうする、事業計画はこうなる、といった検討を何度もしてきましたので、『新規事業を立ち上げるならばこうすべき』という方法論はわかっていました。そんな自分が“感情面”を重視したアプローチでビジネスを立ち上げることになったのは意外でしたが、今となってみると、自分なりには納得がいくアプローチだったなと思っています。
改めて自分の価値観として大切にしたいことは、“現場感”と“実体験”です。「百聞は一見に如かず」という言葉のとおりなのかもしれませんが、これからもこの価値観を大切にしていきたいと強く思います。